ママタルト大鶴肥満の学歴と経歴!錦城高校から明治大学出身で元塾講師

昨年に続き「M-1 2025」決勝進出を果たし、180kgの巨体と愛らしいキャラクターで人気急上昇中のママタルト大鶴肥満さん。
実は明治大学卒の高学歴芸人だということをご存知でしょうか?
「体重だけでなく偏差値も高かったの?」と驚く方も多いはず。
この記事では、出身高校や大学時代のエピソード、元塾講師という意外な経歴について詳しく紹介します。
ゆかり知れば知るほど好きになる、大鶴さんの学生時代を一緒に見ていきましょう。


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ママタルト大鶴肥満の学歴まとめ
ママタルト大鶴肥満さんは、明治大学を卒業された高学歴芸人です。
体重180kg超えというインパクト抜群の見た目ですが、実は偏差値の高い進学校出身という知的な一面もお持ちなんですよね。
まずは、大鶴さんの学歴を一覧でご紹介します。
- 出身小学校:東京都練馬区内の公立小学校(校名不明)
- 出身中学校:東京都練馬区内の公立中学校(校名不明)
- 出身高校:錦城高校(偏差値66〜70)
- 出身大学:明治大学 情報コミュニケーション学部(偏差値63)
このように、小学校から大学まで地元の東京都内で過ごされています。
特に高校からはかなりの難関校に進学されており、学生時代は勉強が得意だったことがうかがえます。



それでは、それぞれの時代にどんなことがあったのか、意外なエピソードとあわせて詳しく見ていきましょう。
ママタルト大鶴肥満の出身小学校と「きゅうり」事件
東京都練馬区内の公立小学校出身
大鶴肥満さんの出身小学校は、地元である東京都練馬区内の公立校だと言われています。
ただ、具体的な学校名については公表されておらず、特定できる情報は今のところ見つかっていません。
同じ学校出身の有名人についても調査してみましたが、確実な情報は確認できませんでした。
地元・練馬区で育ったことは間違いないようなので、地域に根差した普通の小学生だったのかもしれませんね。
この件については引き続き調査を行い、新しい情報が分かり次第、追記してお伝えします。
ちなみに、大鶴肥満さんの実家やご家族とのエピソードについてはこちらの記事にまとめましたので、併せてご覧くださいね。





そんな小学校時代ですが、実は今の芸人人生でも語られる「ある事件」が起きていたんです。
給食の「きゅうり」にまつわる小学校時代のエピソード
小学校時代のエピソードとして、ドキュメンタリー映画の中で「給食での傷(きゅうりリベンジ)」について語られています。
これは2023年に公開されたドキュメンタリー映画『劇場版まーごめドキュメンタリー まーごめ180キロ』の中で明かされたエピソードなんですよね。
具体的な内容は詳しく語られていませんが、「傷」と表現されていることから、大鶴さんにとってはかなり辛い、忘れられない出来事だったことが想像できます。
給食のきゅうりが苦手で居残りさせられたのか、あるいは何か別のトラブルがあったのかは定かではありません。
しかし、そうした子供時代の「傷」やコンプレックスさえも、大人になってからドキュメンタリー映画の題材として昇華させてしまうのが大鶴さんの凄いところです。
自身の過去を包み隠さずさらけ出すスタイルは、多くのファンに愛される現在の芸風にも通じているのかもしれません。



続いては、少しほろ苦い思い出のある中学校時代について見ていきましょう。
ママタルト大鶴肥満の出身中学校とあだ名「テレフォン」
東京都練馬区内の公立中学校出身
出身中学校についても、小学校と同じく東京都練馬区内の公立校だと思われます。
こちらも学校名などの詳しい情報は公表されておらず、特定には至りませんでした。
公立中学校のため偏差値などの情報もありませんが、高校で進学校に入学されていることから、中学時代から成績優秀だったのではないでしょうか。
同じ学校出身の有名人情報も含め、詳細が判明次第、追記していきますね。



勉強はできたようですが、恋愛面では中学1年生にしてかなり強烈な「傷」を負ってしまったようです。
告白が原因で「テレフォン」と呼ばれた中学校時代
中学校時代、好きな子への電話告白がきっかけで、卒業まで「テル(テレフォン)」というあだ名で呼ばれていました。
これは中学1年生の夏休みに起きた悲劇で、勇気を出して電話で告白したことが、なぜか周囲に広まってしまったそうなんです。
その結果、なんと卒業するまでの3年間ずっと「テレフォン」と呼ばれ続けることになってしまいました。
思春期の男の子にとっては、かなり恥ずかしくて辛い経験だったと思います。
しかし、大鶴さんはこの「告白の傷」も隠すことなく、自身のドキュメンタリー映画などで笑い話として披露しています。
辛い過去を「すべらない話」に変えてしまう力は、現在の芸人としての逞しさにつながっているといえそうですね。



次は、さらに壮絶な体験をした高校時代について見ていきましょう。
ママタルト大鶴肥満の出身高校は進学校の錦城高校
偏差値66以上!東京都の私立錦城高校の特徴
大鶴肥満さんの出身高校は、東京都小平市にある私立錦城(きんじょう)高等学校です。
この高校は偏差値が66〜70もある都内有数の進学校として知られています。
大鶴さんは一般受験で入学しており、当時からかなり勉強が得意だったようですね。
ちなみに、同じ高校の卒業生にはタレントの所ジョージさんや、B’zの松本孝弘さん、俳優の吉沢悠さんといった豪華な面々が名を連ねています。
軽音楽部に所属していた大鶴さんも、偉大な先輩たちと同じ校舎で青春時代を過ごしていたんですね。



しかし、そんな華やかな進学校での生活は、決して楽しいことばかりではありませんでした。
体重130kgでいじめに遭った高校時代
高校時代、大鶴さんは体重が130kgあり、それがいじめの原因になっていました。
当時のいじめは殴られたりする物理的なものではなく、精神的に追い詰められる陰湿なものが多かったと振り返っています。
高校3年生ですでに130kgという巨体だったため、周囲から浮いてしまっていたのかもしれません。
この時の辛い経験もドキュメンタリー映画『まーごめ180キロ』の中で「イジメの傷」として語られています。
ただ、辛い過去を抱えながらも、それを乗り越えて多くの人を笑わせる芸人になった姿は、同じような境遇の子どもたちに勇気を与えています。



辛いエピソードの一方で、大鶴さんの巨体が生んだ「伝説の事件」も残されていました。
卒業アルバムで「注意」を授与された合唱コンクール
高校の卒業アルバムには、合唱コンクールで「注意」という賞(?)をもらったエピソードが残っています。
これは、合唱コンクールの際に大鶴さんが台座から降りようとしたところ、その重みで台座を破壊してしまったことが原因なんです。
その結果、その年だけ通常の賞に加えて、特別に「注意」が授与されたんだとか。
「合唱コンクールで大鶴肥満が台座から降りる時に台座を壊して、その年だけ『金賞』と『銀賞』と『特別賞』のほかに『注意』が授与された 」
引用元:お笑いナタリー
台座を壊すほどのダイナミックな体格は、当時から健在だったんですね。
自分の体型がハプニングを生み、それが伝説として語り継がれるというのは、現在の芸風である「巨漢キャラ」の原点ともいえるエピソードではないでしょうか。



次は、お笑いの才能が開花し始める大学時代について見ていきましょう。
ママタルト大鶴肥満の出身大学は明治大学情報コミュニケーション学部
偏差値63の難関・明治大学情報コミュニケーション学部
大鶴肥満さんは、名門私立である明治大学の情報コミュニケーション学部を卒業されています。
この学部の偏差値は63と高く、大鶴さんが非常に優秀な頭脳の持ち主であることが分かります。
もともとは早稲田大学を志望していたそうですが、残念ながら不合格となり明治大学へ進学したそうです。
ただ、当時からテレビ局などのメディア系の仕事に興味があり、情報コミュニケーション学部を選んだという前向きな理由もありました。
明治大学に入った理由を教えてください。
「早稲田に落ちたからなんて言えないですよね(笑)でも、情報コミュニケーション学部に入ってみたかったからっていう気持ちがあったから情コミを受けましたね。情コミに入って1番最初にやった授業がまさかのエクセルっていうのもびっくりしたんですけど(笑)。あとは明大は立地が最高だからというのもあります」
引用元:明大スポーツ新聞
「人に情報を伝える」という点では、メディア志望だった学生時代と現在の芸人活動には通じるものがありますよね。



そんな大学生活の中で、大鶴さんの運命を大きく変える出会いと出来事が訪れます。
お笑いサークル「木曜会Z」所属で「いいとも」出演
大学2年生の時に有名お笑いサークル「木曜会Z」に入り、大学3年生で『笑っていいとも!』に出演を果たしました。
学生時代からテレビに関わることは多かったんですか。
「多かったですね。いいとも(笑っていいとも!)も出ましたし」
引用元:明大スポーツ新聞
このサークルは多くのお笑い芸人を輩出しており、同期にはピン芸人のサツマカワRPGさんもいたんです。
サークル活動に打ち込む中、先輩から「似ている」と言われたことをきっかけに、『笑っていいとも!』の「そっくりさんカーニバル」に出演。
そこで披露したのが「俳優の大鶴義丹さんのそっくりさん」でした。
このテレビ出演こそが、現在の芸名「大鶴肥満」が誕生する直接的なきっかけになったんですよ。
大学時代に生まれたキャラクターが、今のプロとしての活動の土台になっているのは感慨深いですね。



学生芸人として順風満帆に見えましたが、卒業を前に大きな決断を迫られることになります。
プロの誘いを受けるも一度はお笑いを諦めた大学時代
大学4年生の時に大会で実績を残しプロの誘いを受けましたが、一度はお笑いの道を諦めています。
当時は本名の「粕谷明弘」として「カステラ」というコンビを組んで活動していました。
しかし、相方さんが就職することになり、コンビは解散。
一人でお笑いを続ける選択肢もありましたが、大鶴さんはこのタイミングでプロへの道を断念し、別の仕事に就くことを選びました。
一度は夢を諦めた経験があるからこそ、復帰後の「お笑い」にかける情熱や覚悟が人一倍強いのかもしれません。



それでは最後に、一度は諦めた夢をどうやって叶えたのか、現在までの経歴をまとめて見ていきましょう。
ママタルト大鶴肥満の経歴|元塾講師からM-1決勝へ
大鶴肥満さんは大学卒業後、一度は塾講師として働いていましたが、夢を追って芸人の道へ戻ってきました。
「安定した生活」よりも「人を笑わせる人生」を選んだその決断が、現在のブレイクにつながっているんですよね。
これまでの歩みを分かりやすく年表にまとめました。
| 年月 | 出来事 |
|---|---|
| 1991年7月 | 東京都練馬区にて誕生(本名:粕谷明弘) |
| 2014年3月 | 明治大学 情報コミュニケーション学部卒業 その後、塾講師として勤務 |
| 2015年4月 | 23歳で太田プロダクション養成所に入所 |
| 2016年4月 | 檜原洋平とお笑いコンビ「ママタルト」結成 |
| 2020年 | キングオブコント 準決勝進出 |
| 2022年 | M-1グランプリ 準決勝進出 漫才協会へ入会 |
| 2023年5月 | ドキュメンタリー映画『まーごめ180キロ』公開 |
| 2024年12月 | M-1グランプリ初の決勝進出(第10位) |
| 2025年12月 | M-1グランプリ決勝進出決定! |
一度はお笑いを諦め塾の先生をしていましたが、23歳で養成所に入り直し、檜原洋平さんと運命のコンビ結成を果たしました。
いじめられた過去やコンプレックスだった体型を、すべて「笑い」という武器に変えて戦ってきた大鶴さん。
2024年には念願のM-1グランプリ決勝の舞台に立ち、日本中にその存在を知らしめました。



「まーごめ」という魔法の言葉と共に、これからもママタルトが日本中を大きな笑いで包み込んでくれることを期待しましょう!


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