ヤーレンズ出井の学歴と経歴|偏差値70の須磨学園出身で甲南大学中退の訳

M-1グランプリ2025も決勝進出を決め、3年連続決勝進出で話題のヤーレンズ出井隼之介さん。
実は偏差値70の須磨学園出身という高学歴の持ち主なんです。
甲南大学を中退してお笑いの道へ進んだ異色の経歴も気になりますよね。
この記事では、出井さんの学生時代のエピソードや転校の秘話を詳しく解説します。
ゆかり知的なツッコミのルーツを一緒に見ていきましょう。
出井さんの実家・家族エピソードはこちらの記事にまとめているので、併せてご覧くださいね。
【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。


ヤーレンズ出井隼之介の学歴まとめ
ヤーレンズ出井隼之介さんは、進学校である須磨学園高等学校を卒業後、甲南大学を中退してお笑いの道に進んでいます。
まずは、出井さんのこれまでの学歴を時系列でざっくりとご紹介しますね。
- 出身小学校:神奈川県横浜市の小学校(校名不明)
- 出身中学校:横浜市内の中学校 ⇒ 神戸市立の中学校
- 出身高校:須磨学園高等学校(兵庫県)
- 出身大学:甲南大学(1年で中退)
- お笑い養成所:NSC大阪校 29期生
横浜で生まれ育ち、思春期に神戸へ移り住むという、2つの港町を経験しているのが特徴的ですよね。
高校は兵庫県内でも有数の進学校に通っていましたが、大学は「面白いことをやりたい」という理由でスパッと辞めています。
そこにはどんな思いやエピソードがあったのでしょうか。



それでは、時系列順に小学校時代から詳しく見ていきましょう。
ヤーレンズ出井の出身小学校と子供時代
横浜市出身で具体的な校名は不明
出井隼之介さんは神奈川県横浜市の出身で、小学校も横浜市内の学校に通っていたとみられます。
ただ、具体的な小学校名については、調査しましたが公式な情報は公開されていませんでした。
後述しますが、中学1年生の時までは横浜市青葉区の学校に通っていたことが分かっています。
そのため、小学校も青葉区内の公立校だった可能性が高そうですね。
ちなみに、出井さんの実家や家族とのエピソードはこちらの記事に詳しくまとめたので併せてご覧ください。


今後、ラジオやインタビューなどで新しい情報が出てくるかもしれませんので、引き続きチェックしておきます。



学校名は不明ですが、子供時代の過ごし方には意外なエピソードがあるんです。
両親の地元・富山で過ごした夏休みの思い出
横浜生まれの出井さんですが、幼少期の夏休みは多くの時間を富山県で過ごしていました。
ご両親がどちらも富山県の出身だったからなんですね。
都会っ子のイメージが強い出井さんですが、実は富山ののどかな田園風景に「安心」や「やすらぎ」を感じていたといいます。
本人も「郷土愛に近いものを抱いている」と語るほど、富山には特別な思い入れがあるようです。
ヤーレンズの漫才といえば、ガツガツしない「脱力系」や「ユルさ」が魅力ですよね。
もしかすると、子供の頃に富山の大自然でのんびりと過ごした経験が、あのおおらかな芸風の原点になっているのかもしれません。



そんなのどかな小学生時代を経て、中学生になると環境がガラリと変わります。
ヤーレンズ出井の出身中学校と転校のエピソード
中学2年生で横浜から神戸市の中学校へ転校
出井隼之介さんは、中学2年生になるタイミングで横浜市から兵庫県神戸市の中学校へ転校しています。
中学1年生までは横浜市青葉区の学校に通っていましたが、親御さんの都合で引っ越すことになったようですね。
転校先の具体的な校名は公表されていませんが、興味深い情報があります。
ヤーレンズの相方・楢原真樹さんの地元である大阪府池田市の市長・滝沢智子さんが、実は出井さんと中学校の同級生だったそうです。


さらに部活動まで一緒だったということが後に判明しており、世間の狭さに驚かされますよね。



関東から関西への転校は、思春期の少年にはかなり衝撃的な体験だったようです。
制服の違いと関西に馴染むためのラジオ生活
転校当時、学ランが主流の中学校にブレザーで登校し、周囲から浮いてしまったといいます。
横浜の学校の制服のまま転入したため、クラスメイトからは「うわ~何か来たで!」というような目で見られたんだとか。
これに危機感を覚えた出井さんは、「早急に関西になじまないと!」と決意します。
しかし、ご実家は「テレビを置かない」という教育方針だったため、情報源はラジオだけでした。
「学ランの中学校にブレザーで転校しちゃったものだから『うわ~何か来たで!』みたいな(笑)アメリカの刑務所に入所するみたいだった(笑)
『これはヤバイ!早急に関西になじまないと』と思って。
でも部屋にテレビとか置いてくれない家だったから、ラジオを聴いていた。引用元:めざましmedia
そこで夜な夜な『キングコング』などの芸人ラジオを聴きあさり、関西のノリを勉強したそうです。
この経験がきっかけでお笑いに目覚めたわけですが、現在のヤーレンズの「ラジオスター」としての資質や、軽妙なトーク力はこの時期に養われたのかもしれませんね。



関西の空気を必死に吸収した出井さんは、その後、県内屈指の進学校へ進みます。
ヤーレンズ出井の出身高校は難関の須磨学園
偏差値が高い兵庫県の進学校・須磨学園高等学校
出井さんが進学したのは、神戸市にある私立の須磨学園高等学校です。
この学校は、偏差値が63〜70とも言われる兵庫県内でも屈指の進学校なんですよね。
中高一貫校としても知られていますが、出井さんは高校からの入学(外部進学)だったようです。
中学時代にラジオを聴いてお笑いに目覚めながらも、しっかりと勉強してこれだけの難関校に合格しているのは凄いことですよね。
地頭の良さや、物事を論理的に整理する力は、現在の漫才の構成力やツッコミの的確さにも表れている気がします。



さぞかし充実した高校生活だったのかと思いきや、本人の口からは意外な言葉が出ています。
「思い出が無い」と語る高校生活
出井さんは高校時代について、「これといってひどい思い出も、良い思い出も無い」と語っています。
いわゆる「青春らしいエピソード」がほとんどなく、淡々とした3年間を過ごしたようですね。
進学校特有の勉強漬けの日々だったのか、あるいは早くからお笑いの世界に心が向いていたからなのかもしれません。
ただ、この「何事にも動じない」「淡々としている」というスタンスは、今の芸風そのもの。
相方の楢原さんがどれだけ自由にボケ倒しても、動じることなく涼しい顔で受け流す「スタイリッシュなツッコミ」は、この平熱の高校生活で培われたメンタリティが生きているのかもしれませんね。



高校卒業後は大学へ進学しますが、ここで人生の大きな決断をすることになります。
ヤーレンズ出井の出身大学と中退の理由
産近甲龍の一つである甲南大学に進学
高校卒業後、出井さんは兵庫県神戸市にある甲南大学へ進学しました。
関西では「産近甲龍(さんきんこうりゅう)」と呼ばれる準難関私立大学群の一つとして有名ですよね。
おしゃれで上品なイメージがある大学なので、美容好きでスタイリッシュな現在の出井さんの雰囲気には合っているように思えます。
しかし、実際には思い描いていたキャンパスライフとは少し違ったようです。



せっかく難関大学に入ったにもかかわらず、出井さんはわずか1年で退学を決意します。
「カレッジカースト」に馴染めず1年で中退
大学を1年で中退した理由は、学内に存在した「カレッジカースト」が肌に合わなかったからだそうです。
出井さん曰く、当時は中等部や高等部からそのまま上がってきた「内部生」がカーストの上位にいて、大学から入学した自分は下層にいるような雰囲気を感じたんだとか。
『お金持ち』とは、僕のように大学から入ってくるような人間の事ではない。中等部や高等部からの生え抜きの連中のことだ。我々はカレッジカーストでいうところの一番下位に属し、生え抜きの連中が上位だ。
引用元:ヤーレンズ出井隼之介note
「このままここにいても面白くない」と感じた出井さんは、早々に見切りをつける決断をします。
この「合わない場所に固執しない」という潔さが、結果的に芸人としての成功への近道になったのかもしれませんね。



大学を辞めた出井さんが選んだのは、まったく別の「面白い世界」でした。
NSC大阪校29期生としてお笑いの道へ
「面白いことをやりたい」という思いから、2006年頃にNSC大阪校へ29期生として入学しました。
ここから出井さんの芸人人生がスタートします。
同期には見取り図や金属バットといった実力者が揃っている「豊作の世代」なんですよね。
大学中退という挫折のように見える経験も、お笑いの世界に入るための必要なステップだったと言えるでしょう。
インテリジェンスがありながらも、お笑いへの情熱で人生の舵を切ったその行動力が、今のヤーレンズの勢いに繋がっています。



最後に、これまでの経歴を一覧で振り返りつつ、今後の活躍にも期待を寄せていきましょう。
ヤーレンズ出井隼之介の経歴とプロフィール
最後に、ヤーレンズ出井さんのこれまでの歩みを経歴としてまとめました。
横浜から神戸、大阪、そして東京へと拠点を移しながら、着実に実力を磨いてきた軌跡をご覧いただけます。
| 年 / 月 | 出来事 |
| 1987年3月 | 神奈川県横浜市で生まれる |
| 中学2年時 | 兵庫県神戸市の中学校へ転校 |
| 高校卒業後 | 甲南大学に進学(1年で中退) |
| 2006年頃 | NSC大阪校に29期生として入学 |
| 2011年9月 | 楢原真樹さんとコンビ結成(旧名:ヒートアップ) |
| 2014年5月 | 活動拠点を大阪から東京へ移す |
| 2014年8月 | ケイダッシュステージ所属、「ヤーレンズ」に改名 |
| 2023年12月 | M-1グランプリ2023で準優勝 |
| 2024年5月 | 一般女性との結婚をラジオで生報告 |
| 2024年12月 | M-1グランプリ決勝進出 |
| 2025年12月 | M-1グランプリ決勝進出(3年連続の快挙) |
長い下積み時代を経て、2023年のM-1グランプリ準優勝をきっかけに一気にブレイクを果たしました。
プライベートではご結婚もされ、公私ともに今が一番脂が乗っている時期ではないでしょうか。
美容男子やコーヒー好きという一面も活かしつつ、ラジオやテレビでさらなる活躍を見せてくれるのが楽しみですね。



これからも、ヤーレンズ出井隼之介さんの快進撃を全力で応援していきましょう!


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。










コメント