エルフはるの学歴と経歴|大学には進学せず?野崎高校出身で体育教師志望から芸人になった

ギャル漫才のツッコミ役として、「THE W 2025」決勝進出も決まり勢いに乗るエルフのはるさん。
しっかり者のイメージがありますが、実際の学歴はどのようなものなのでしょうか。
実は大学には進学せず、地元では「ヤンキー高校」と呼ばれる学校に通っていたという意外な過去があるんです。
ゆかりこの記事では、体育教師を目指していた学生時代のエピソードや、出身校について詳しくまとめていきますね。


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エルフはるの学歴まとめ
エルフ・はるさんの最終学歴は「高卒」で、大阪府立野崎高等学校を卒業しています。
大阪府枚方市で育ち、地元の公立小中学校を経て高校へ進学。
その後、大学へは進学せずに吉本興業の養成所であるNSC(吉本総合芸能学院)に入学しました。
これまでの学歴を時系列でまとめると、以下のようになります。
- 出身小学校:大阪府枚方市内の公立小学校(詳細は後述)
- 出身中学校:枚方市立東香里中学校
- 出身高校:大阪府立野崎高等学校
- 出身大学:進学なし(NSC大阪校38期生)
高校時代には体育教師を目指していた時期もあったそうですが、最終的にはお笑いの道を選んでいるんですよね。
それぞれの時代に、はるさんの人柄がわかる素敵なエピソードがたくさんあるんです。



それでは、まずは小学校時代の様子から詳しく見ていきましょう。
エルフはるの出身小学校とエピソード
出身は大阪府枚方市内の公立小学校の可能性が高い
エルフ・はるさんの出身小学校は公表されていませんが、大阪府枚方市内の公立校であることは間違いありません。
はるさんは山口県で生まれ、すぐに大阪府枚方市へ移り住んで育ちました。
後述する出身中学校の校区から考えると、以下のいずれかの小学校に通っていた可能性が高いと推測されます。
- 枚方市立東香里小学校
- 枚方市立川越小学校
- 枚方市立香陽小学校
- 枚方市立春日小学校
詳しい学校名は不明ですが、地元・枚方で伸び伸びと過ごされていたようですね。



では、小学生時代のはるさんがどんな女の子だったのか、具体的なエピソードを見ていきましょう。
活発な幼少期!ドッジボールと「ごんぎつね」の音読
小学生時代のはるさんは、休み時間のたびに外で遊ぶ活発な女の子でした。
特に夢中だったのがドッジボールやキックベース。
サッカーなどは習い事をしている子が圧倒的に強くなってしまいますが、ドッジボールなら「全員がフラットに楽しめるから好きだった」と語っています。
また、国語の授業での「音読」も得意だったそうです。
物語の「ごんぎつね」を読む際には、誰よりも大きな声を出し、しっかりと感情を込めて読んでいたんだとか。
現在の芸人としてのハキハキとした喋りや表現力は、この頃から培われていたのかもしれませんね。



そんな活発なはるさんが、「芸人になりたい」と思うようになったきっかけが小学6年生の時に訪れます。
小学6年生でNON STYLEを見て芸人に憧れを抱く
はるさんが芸人を志すきっかけとなったのは、小学6年生の時に見た「M-1グランプリ」でした。
2008年のM-1グランプリで優勝したNON STYLEの漫才を見て、衝撃を受けたそうです。
テレビの前で「芸人さんってカッコいい!」と感動し、自分も漫才をしてみたいという強い憧れを抱くようになりました。
小学生の時に抱いた夢をそのまま追い続け、本当にプロの芸人になったのですから、その時の感動がいかに大きかったかが分かりますよね。



続いては、中学生になったはるさんの様子について見ていきましょう。
エルフはるの出身中学校と中学時代のエピソード
出身中学校は枚方市立東香里中学校を卒業
エルフ・はるさんの出身中学校は、大阪府の枚方市立東香里中学校です。
こちらは地元である枚方市内の公立中学校ですね。
同じ中学校の出身有名人には、映画監督の熊谷まどかさんがいらっしゃいます。
中学校卒業後はすぐに働きたいと考えていたはるさんですが、ご両親からある条件を提示されたそうです。
それは「高校だけは行ってほしい。高校さえ卒業すればNSC(吉本興業の養成所)に入っても良い」というものでした。
はる 中学の時に親にNSCに入りたいことを伝えたら「高校さえ卒業してくれたらいいよ」って言ってもらえたので、うちは稀なケースだと思います。言う時は勇気がいったけど、我慢して思いを伝えないまま諦めるより言って良かったです。
引用元:chFILES
この約束があったからこそ、今のはるさんがいるわけですね。
はるさんの実家やご両親のことなどはこちらの記事で詳しく解説しているので、あわせてご覧くださいね。





それでは、中学時代の部活動や生活の様子について見ていきましょう。
バレーボール部に所属しドラマ「プライド」を糧に勉強
中学時代はバレーボール部に所属し、勉強と部活に明け暮れる毎日を送っていました。
運動神経が良いはるさんらしい部活動選びですよね。
また、当時の意外な趣味として、木村拓哉さん主演のドラマ「プライド」を挙げています。
再放送で見たこのドラマに強い衝撃を受け、思春期の勉強のモチベーションや心の支えにしていたんだとか。
熱いスポーツドラマの世界観が、部活に励むはるさんの心に響いたのかもしれません。



しかし、中学3年生の受験期になると、なぜか別のスポーツに夢中になってしまったようなんです。
受験生なのにドッジボールにハマり勉強しなかった
高校受験を控えた中学3年生の時期、はるさんはなぜか「ドッジボール」に熱中しすぎて勉強を一切しませんでした。
小学生の頃から好きだったドッジボールですが、まさか受験期に再燃するとは驚きですよね。
本来なら机に向かうべき時期に、ドッジボールばかりしていたため、学力面ではかなり苦戦したようです。
その結果、進学先として選んだのが、のちに相方の荒川さんにいじられることになる「あの高校」でした。



次は、そんなはるさんが進学した高校と、そこでの驚きのエピソードについてご紹介します。
エルフはるの出身高校と高校時代のエピソード
出身高校は大阪府立野崎高校!偏差値や学校の特徴
はるさんが進学したのは、大阪府大東市にある「大阪府立野崎高等学校」です。
この高校は体育科があるなど部活動が盛んな学校ですが、偏差値は37程度といわれています。
相方の荒川さんからは「地元のヤンキーが一番集まる所」なんてイジられたこともあるほど、やんちゃな生徒が多い学校だったようですね。
同校の卒業生には、タレントのなるみさんや、映画監督の石原貴洋さんなどが名を連ねています。
そんな「ヤンキー校」とも呼ばれる環境で、はるさんは驚くほど真面目な高校生活を送っていました。



当時の真面目すぎる通学エピソードを見てみましょう。
片道1時間半をかけて通学し3年間無遅刻無欠席の皆勤賞
はるさんは高校3年間、片道1時間半かけて通学し、なんと「無遅刻無欠席」の皆勤賞を達成しました。
枚方市の自宅から大東市の高校まで、自転車、電車、徒歩を乗り継いで通っていたそうです。
周りがやんちゃな生徒も多い中、これだけ真面目に学校に通い続けるのは凄いことですよね。
また、高校では部活動には入らず、「大阪王将」でのアルバイトに精を出していました。
文化祭では「桃太郎のアナザーストーリー」で鬼役を熱演して最優秀特別賞をもらうなど、行事にも全力投球だったようです。
高校は少し離れた高校に合格し、チャリ、電車、徒歩で1時間半かかる所に通っていました。
体育の授業が週4日あったり、文化祭では桃太郎のアナザーストーリーで鬼役をして最優秀特別賞を貰ったり、体育祭では正方形のマス目がグラウンド一面に書かれ、そのマス目に一人一人並んだり、初めは同じ高校に地元の友達が誰も居なく不安で堪りませんでしたが、なんとか、3年間無遅刻無欠席の皆勤で無事卒業しました!
引用元:Amebaブログ



実はこの頃、はるさんは芸人ではなく「ある職業」を目指して勉強していたのです。
体育教師志望だったが担任の先生の一言で芸人の道へ
高校時代のはるさんは、スポーツが得意だったことから「体育教師」を目指していました。
野崎高校は体育の授業が週4日もあったそうで、体育教師への憧れは強かったようです。
実際、当時の体育の先生に憧れてバレンタインチョコを渡したこともあったんだとか(後に既婚者だと判明し失恋)。
しかし高校3年生の時、進路相談で担任の先生から運命の一言をかけられます。
「とりあえず、漫才師をやってみたら?」
「今しかでけへんのは芸人のほうちゃうか」
この先生の言葉に背中を押され、はるさんは教師ではなく、小学生の頃からの夢だった芸人の道へ進む決心をしました。
高2、高3となるうちに漫才師より、体育教師になりたくなって、進路相談の時にも「大学行って先生を目指します」って言うたら、高3の時の先生が、高1の時と同じやったんですけど、「高1の時、1回漫才師になるって言うたんやったら目指してみたら? とりあえずやってみて、無理やったら、若いねんから辞めたらいいし」って言われたんです。その言葉に背中を押してもらったって感じでしたね。
引用元:月間芸人



次は、高校卒業後の進路と、相方・荒川さんとの運命の出会いについてお伝えします。
エルフはるの出身大学・専門学校と学生時代のエピソード
大学進学はせずNSC大阪校38期生としてお笑いの道へ
高校卒業後、はるさんは大学へは進学せず、吉本総合芸能学院(NSC)大阪校へ入学しました。
2015年に入学したNSC大阪校38期生で、同期には「天才ピアニスト」や「オフローズ」などがいます。
中学時代に両親と交わした「高校卒業までは頑張る」という約束を果たし、満を持しての夢への挑戦でした。
ただ、入学当初は「相方に出会える自信がなかった」そうで、見つからなければすぐに辞めるつもりだったといいます。
不安を抱えながらのスタートでしたが、ここでの出会いがはるさんの人生を大きく変えることになります。



その運命の出会いこそが、現在の相方である荒川さんでした。
「相方探しの会」での荒川との出会いと結成秘話
はるさんと荒川さんの出会いの場は、NSC内で行われた「相方探しの会」でした。


当時、自分とは正反対の性格の人と組みたいと考えていたはるさん。
会場で一番明るく、誰とでも楽しそうにコミュニケーションを取っている荒川さんを見て、「この人だ!」と思ったそうです。
はるさんから声をかけ、2016年4月に正式にコンビ「エルフ」を結成しました。
真面目でツッコミ役のはるさんと、自由奔放なギャルの荒川さんという、絶妙なバランスのコンビがここに誕生したのです。



芸人としての活動をスタートさせたはるさんですが、生活のために長く続けていたアルバイトがありました。
大阪王将でバイトリーダーを務めながらの下積み時代
はるさんは、芸人活動と並行して「大阪王将」で約6年間もアルバイトを続けていました。
高校時代から続けていたのか、NSC入学前後から始めたのかは定かではありませんが、長期間勤務していたことは間違いありません。
持ち前の真面目さと責任感の強さから、最終的には「バイトリーダー」まで務めていたそうです。
芸人としてブレイクするまでの下積み時代を、中華鍋を振るう音と共に過ごしていたんですね。
皆勤賞のエピソードといい、一度決めたことをやり抜くはるさんの性格がよく表れています。



最後は、これまでの経歴と、現在の活躍についてまとめていきましょう。
エルフはるの経歴|THE W準優勝までの道のり
エルフはるの経歴年表:NSC入学から現在まで
エルフ・はるさんのこれまでの歩みを、年表形式でまとめました。
大阪の女子高生から、全国区の人気芸人になるまでの軌跡をご覧ください。
| 年/月 | 出来事 |
| 1996年6月 | 山口県で出生、すぐに大阪府枚方市へ移住 |
| 2012年4月 | 大阪府立野崎高等学校に入学 |
| 2015年4月 | NSC大阪校に38期生として入学 |
| 2016年4月 | 荒川葉月(現・荒川)と「エルフ」結成 |
| 2021年1月 | 「ぐるナイおもしろ荘」出演で注目を集める |
| 2022年4月 | 活動拠点を大阪から東京へ移す |
| 2023年12月 | 「女芸人No.1決定戦 THE W」で準優勝 |
| 2024年10月 | コンビで「いずみの国和泉市PR大使」に就任 |
高校卒業後すぐにこの世界に飛び込み、着実にステップアップしているのが分かりますね。



最後に、キャリアの中での大きな転機について振り返ってみましょう。
芸人としての主なトピックスと活動拠点の変化
はるさんのキャリアにおいて、2022年の東京進出と2023年の「THE W」準優勝は非常に大きな転機でした。
大阪で培った実力を武器に東京へ拠点を移し、その翌年には賞レースで結果を残すという、理想的な活躍を見せています。
「ギャルと真面目」という分かりやすい構図だけでなく、はるさんの的確なツッコミや可愛らしいキャラクターも評価されているんですよね。
最近では和泉市のPR大使に就任するなど、地元・関西への貢献も忘れていません。



真面目で努力家なはるさんが、これからも相方の荒川さんと共に、お笑い界にたくさんの「ハピネス」を届けてくれることを期待しましょう!


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