ママタルト檜原の学歴と経歴|神戸大卒で偏差値74の清風南海高校出身の秀才

「M-1 2025」決勝進出を果たし、温かみと誰も傷つけない優しい漫才が魅力のママタルト檜原洋平さん。
親しみやすい雰囲気ですが、実はかなりの高学歴だという噂をご存知でしょうか?
なんと偏差値74の超難関校出身で、神戸大学卒という秀才なんです。
この記事では、檜原さんの出身校や学生時代のエピソードについて詳しくまとめました。
ゆかり意外なハイスペック経歴を早速チェックしていきましょう。


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ママタルト檜原洋平の学歴まとめ
ママタルト檜原洋平さんの学歴を小学校から大学まで一覧でまとめました。
偏差値74の高校から国立大学へ進学されており、非常にお笑い界きっての高学歴であることがわかります。
- 大学:神戸大学 発達科学部(現:国際人間科学部)卒業
- 高校:清風南海高校 卒業(偏差値74)
- 中学校:和泉市立槇尾中学校 卒業
- 小学校:大阪府和泉市内の公立小学校(和泉市立横山小学校などが有力)
中学までは地元の公立校に通い、高校からは大阪府内でもトップクラスの進学校へ進んでいますね。
そして一年の浪人を経て、難関国立大学である神戸大学を卒業されています。



まずは、檜原さんがどんな少年時代を過ごしたのか、小学校時代のエピソードから詳しく見ていきましょう。
ママタルト檜原洋平の出身小学校|お笑いに目覚めた幼少期
出身は大阪府和泉市内の公立小学校か
檜原洋平さんの出身小学校は公表されていませんが、大阪府和泉市内の公立校である可能性が高いです。
これは、後述する出身中学校の校区からある程度絞り込むことができるからなんですよね。
檜原さんの出身中学校である「和泉市立槇尾中学校」の通学区域を調べると、以下の2つの小学校が該当します。
- 和泉市立横山小学校
- 和泉市立南横山小学校
どちらも自然豊かな環境にある学校で、檜原さんもこうしたのびのびとした場所で少年時代を過ごしたのかもしれません。
ちなみに、檜原さんの実家やご家族についてはこちらの記事に詳しくまとめましたので、併せてご覧ください。





そんな檜原少年ですが、実は物心ついた頃からすでにお笑いの世界に魅了されていたんです。
3歳で芸人を志す!さんまやウッチャンナンチャンに憧れた
驚くべきことに、檜原さんはわずか3歳の頃からお笑い芸人を志していたそうです。
3歳といえば、まだ言葉を覚えたてくらいの年齢ですから、本当に筋金入りのお笑い好きだったことがわかりますよね。
特に影響を受けたのが、テレビで活躍する明石家さんまさんやウッチャンナンチャンさんだったといいます。
子供の頃からバラエティ番組やお笑い番組を食い入るように見て育ち、「自分もあっち側に行きたい」と夢を膨らませていたのでしょう。
この頃に芽生えた「純粋にお笑いが好き」という気持ちが、今のママタルトの「誰も傷つけず、みんなが笑える漫才」という温かい芸風の土台になっているのかもしれません。



小学生でお笑いの虜になった檜原さんは、中学生になると「見る側」から「作る側」へと進化していきます。
ママタルト檜原洋平の出身中学校|ハガキ職人「ゲッパーランド」の原点
和泉市立槇尾中学校は2025年に閉校した公立校
檜原洋平さんの出身中学校は、大阪府和泉市にあった公立校「和泉市立槇尾(まきお)中学校」です。
学校は和泉市仏並町という場所にあり、緑豊かな環境の中にありました。
実はこの槇尾中学校、少子化の影響などに伴い、2025年3月をもってその歴史に幕を下ろしているんです。
現在は「和泉市立槇尾学園」として再編されていますが、檜原さんが通った当時の校舎や校名がなくなってしまうのは、卒業生として少し寂しい気持ちもあるかもしれませんね。
ちなみに、同じ中学の出身者には人気ロックバンドKANA-BOONのボーカル、谷口鮪さんがいらっしゃいます。



そんな母校で過ごした中学時代、檜原さんは部活には入らず、ある「創作活動」に没頭し始めます。
中学時代から大喜利に熱中!ラジオへのネタ投稿を開始
中学時代の檜原さんは帰宅部で、なんと「ハガキ職人」としての活動をスタートさせました。
中学生で「大喜利」という文化に出会い、その面白さにどっぷりとハマってしまったそうなんです。
当時は「ゲッパーランド」というラジオネームを名乗り、NHKの『着信御礼!ケータイ大喜利』や様々なラジオ番組にネタハガキを投稿していました。
ちなみにこのラジオネームは、漫画『キン肉マン』のキャラクターから取ったものだとか。
中学生ながら大人たちとネタで渡り合っていた経験が、現在のママタルトの精度の高いボケやツッコミ、そして檜原さんの圧倒的な大喜利力を作る「原点」になっているのは間違いありません。



中学でお笑いの才能を磨き始めた檜原さんは、高校へ進学するとさらにその才能を開花させ、運命の出会いを果たします。
ママタルト檜原洋平の出身高校|偏差値74の清風南海で粗品と出会う
大阪府内有数の進学校「清風南海高校」の特徴と偏差値
檜原洋平さんの出身高校は、大阪府内でもトップクラスの進学校として知られる「清風南海高校」です。
その偏差値はなんと「74」と言われており、超難関の私立高校なんですよね。
仏教系の学校で校則も厳しく、当時は男子生徒が9割を占める環境だったそうです。
檜原さんは高校からの入学者だったため、中学からの内部進学生たちから少し軽視されるような雰囲気もあったといいます。
しかし、そんなアウェイな環境でも持ち前の明るさで自分の道を切り開き、勉強だけでなくお笑いの活動にも精を出していました。



高校でも部活には入らず帰宅部だった檜原さんですが、高校3年生の時に大きな転機が訪れます。
帰宅部だが「ハイスクールマンザイ」で優勝した高校3年生
高校3年生の時、高校生お笑いNo.1を決める「ハイスクールマンザイ」に出場し、地区優勝を果たしました。
高校生お笑いNo.1を決めるイベント「ハイスクールマンザイ」に出場し、地区大会で優勝。当日は緊張で頭が真っ白になりよく覚えていないという。ちなみに1学年下だった粗品のコンビは、この大会で決勝進出を果たしている。
引用元:withnews
当時は「グランドメニュー」というコンビを組んでおり、M-1甲子園の南大阪大会でも優勝するほどの実力だったんです。
実は檜原さん、普段は緊張しいな性格で、文化祭などの学校行事にはあまり参加しなかったそう。
それでも「お笑いの大会」という舞台では堂々と結果を残していたのですから、やはり根っからの芸人気質だったのでしょう。
この頃の「大舞台でウケる快感」が、プロの芸人を目指す決定的な後押しになったのかもしれませんね。



そしてこの高校生のお笑い大会で、檜原さんは運命的な出会いを果たします。
霜降り明星・粗品との出会いや一途な恋愛エピソード
M-1甲子園の会場で出会ったのが、当時1学年下だった霜降り明星の粗品さんでした。


二人は高校生の頃から親交を深め、互いの才能を認め合う仲だったんです。
粗品さんは現在も檜原さんのツッコミ技術を「理想的」と絶賛しており、この頃からの縁が今も続いているなんて素敵ですよね。
また、高校時代の檜原さんには意外な恋愛エピソードも。
入学してすぐに女子生徒に告白し、なんと高校3年間ずっと同じ彼女と交際していたそうです。
彼女は男子からモテモテだったそうですが、一途に檜原さんと付き合い続けました。
一途に愛を育む誠実な人柄は、今のママタルトの「誰も傷つけない優しい笑い」にも表れている気がします。



高校で確かな実績と自信を手にした檜原さんは、さらに上のステージである大学へと進学します。
ママタルト檜原洋平の出身大学|神戸大学時代にプロの芸人へ
神戸大学発達科学部は女子学生が多い芸術系の学科
檜原さんは1年間の浪人生活を経て、難関国立大学である神戸大学の発達科学部(現:国際人間科学部)に進学しました。
在籍していたのは「人間表現学科」という芸術系の学科で、クラスは少人数制、しかも女子学生が多かったそうです。
そんな華やかな環境の中、檜原さんは自らお弁当を作って持参するなど、家庭的な一面も見せていました。
勉強もできて料理もこなす、この頃からすでに器用でハイスペックな男性だったことがうかがえますね。
この大学で学んだ「表現」に関する知識や感性が、今のママタルトの独特なワードセンスや世界観の構築に役立っているのかもしれません。



大学生活を謳歌する一方で、檜原さんのお笑い熱は冷めるどころか、ますますヒートアップしていきます。
学生芸人として活躍し大手企業の内定を辞退してプロの道へ
大学時代は「サンストレンジ」というコンビを組み、学生芸人の大会で優勝するなど輝かしい実績を残しました。
大阪吉本の劇場「5upよしもと」のオーディションにも合格し、学生ながらプロに近い活動をしていたんです。
就職活動では、なんと「大手アダルトビデオ制作会社」から内定をもらっていたという衝撃のエピソードも。
しかし、大学卒業直前に相方から熱心に誘われ、その内定を辞退してお笑いの道へ進むことを決意しました。
安定した就職を捨ててまで選んだお笑いの道。
その覚悟があったからこそ、長い下積み時代を乗り越え、M-1ファイナリストという栄光を掴むことができたのでしょう。



それでは最後に、檜原さんが歩んできた激動の経歴を時系列で振り返ってみましょう。
ママタルト檜原洋平の経歴|M-1ファイナリストになるまでの軌跡
最後に、ママタルト檜原洋平さんのこれまでの歩みを年表形式でまとめました。
幼少期のお笑いへの憧れから、学生時代の活躍、そしてプロとしてのブレイクまで、着実にステップアップしている様子がわかります。
| 年/時期 | 出来事 |
| 1991年 | 大阪府和泉市で誕生 |
| 3歳頃 | 明石家さんまさんらを見てお笑い芸人を志す |
| 中学時代 | ラジオネーム「ゲッパーランド」としてハガキ職人活動を開始 |
| 高校時代 | 「ハイスクールマンザイ」地区大会優勝 「M-1甲子園」南大阪大会優勝 ※霜降り明星・粗品さんと出会う |
| 大学時代 | コンビ「サンストレンジ」結成 「5upよしもと」オーディション合格 学生芸人No.1決定戦で優勝 |
| 大学卒業時 | 大手アダルトビデオ制作会社の内定を辞退し、お笑いの道へ |
| 2016年 | 大鶴肥満さんと「ママタルト」結成 サンミュージックプロダクション所属 |
| 2020年 | 「サンミュージックGET大喜利No.1決定戦」優勝 |
| 2024年 | 「M-1グランプリ2024」で初の決勝進出 |
| 2025年 | 「M-1グランプリ2025」決勝進出 |
エリート街道を歩みながらも、一度は就職を選びかけ、最終的にはお笑いへの情熱を貫いた檜原さん。
M-1グランプリでの決勝進出をきっかけに、その実力と愛されるキャラクターは全国区となりました。
「普遍的な笑い」を追求するママタルトの漫才は、これからも多くの人々を温かい笑いで包み込んでくれるはずです。



お笑い界の頂点を目指して突き進む檜原洋平さんの、今後のさらなる活躍から目が離せませんね!


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。










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