めぞん原一刻の学歴|宮崎出身で高校・大学はどこ?M-1決勝芸人の学生時代に迫る

M-1グランプリ2025決勝進出で、今もっとも勢いに乗るお笑いコンビ「めぞん」の原一刻さん。
独特な雰囲気を持つ彼ですが、学歴や出身高校がどこなのか気になりますよね。
実は学生時代、部活を5回も変えるほど「何にもハマれない」性格だったそうです。
ゆかりこの記事を読めば、原一刻さんの意外な学歴や、M-1決勝に至るまでの知られざる過去が分かりますよ。


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めぞん原一刻の学歴まとめ
原一刻さんの学歴は、地元の宮崎県宮崎市で高校まで過ごし、その後NSC東京校へ入学しています。
いよいよM-1グランプリ決勝に進出し、注目を集めている「めぞん」の原一刻さん。
まずは、気になる学歴や出身校を一覧で整理しました。
- 出身小学校:宮崎県宮崎市内の小学校(校名不明)
- 出身中学校:宮崎県宮崎市内の中学校(校名不明)
- 出身高校:宮崎県宮崎市内の高校(校名不明)
- 出身大学:不明(進学していない可能性あり)
- お笑い養成所:NSC東京校 22期生
具体的な学校名は現状では公表されていませんが、出身地である宮崎市内の学校に通っていたことは間違いなさそうです。
大学進学については情報がなく、高校卒業後にアルバイトなどを経てお笑いの道へ進んだ可能性が高いですね。
コンビ名の由来となった『めぞん一刻』のようにドラマチックな学生時代だったのか、気になるところです。



次は、原一刻さんの出身小学校について詳しく見ていきましょう。
めぞん原一刻の出身小学校|宮崎県宮崎市で育つ
原一刻さんの出身小学校は、具体的な校名までは公表されていませんが、地元である宮崎県宮崎市内の学校に通っていたと考えられます。
公式プロフィールによると、原さんは1994年7月22日に宮崎県宮崎市で生まれました。
そのため、小学校も実家から通える範囲の公立校に通っていた可能性が高いですよね。
小学校時代の具体的なエピソードについては、インタビューやメディア等でまだ語られていないようです。
ただ、後述する中学・高校時代の「部活を転々とする」という飽き性な一面が、もしかするとこの頃から少しずつ顔を出していたのかもしれません。
M-1決勝進出を機に、今後テレビ番組などで幼少期の思い出が語られることもあるでしょう。
詳しい学校名や当時のエピソードが判明次第、こちらでも追記していきますね。



続いては、少しずつ個性が表れ始めた中学校時代について見ていきましょう。
めぞん原一刻の出身中学校|部活に打ち込めなかった過去
宮崎市内の中学校で過ごした少年時代
原一刻さんの中学校は、小学校と同じく宮崎県宮崎市内の学校だと思われます。
具体的な学校名については、現状では公表されていません。
ただ、高校も宮崎市内であることが判明しているため、中学時代も地元の公立校に通っていた可能性が高いでしょう。
この件については引き続き調査を行い、ラジオやインタビューなどで新しい情報が出てき次第、追記していきますね。



学校名は不明ですが、この中学時代から原さんの「飽き性」な性格が顔を出し始めます。
野球やラグビーを経験するも長続きしなかった理由
中学時代、原さんはラグビー部や野球部に所属していましたが、どれも長続きしなかったそうです。
実は原さん、中学・高校の6年間で合計5回も部活動を変えているという、驚きのエピソードを持っています。
中学時代には野球に打ち込もうとして、毎日バットの素振りをしていた時期もあったのだとか。
しかし、結局それも長くは続かず、途中で辞めてしまったといいます。
自身でも「何にもハマれない」と語っているように、熱中できるものが見つからないまま少年時代を過ごしていたようですね。



この「続かない伝説」は、なんと高校生になってもさらに加速していきます。次を見ていきましょう。
めぞん原一刻の出身高校|自転車通学と部活遍歴
自転車で片道40分!宮崎市内の高校に通学
原一刻さんの出身高校は宮崎市内にあり、自宅から自転車で片道40分かけて通学していたそうです。
チャリを40分漕いで学校に通っていた高校生の時よりも
引用元:原一刻note
具体的な高校名は公表されていませんが、自転車で40分というと結構な距離ですよね。
雨の日も風の日もペダルを漕いで通っていたと考えると、体力は自然とついていたのかもしれません。
宮崎市内の高校は数多くありますが、通学時間などの情報から、地元の方ならある程度エリアが絞り込めるかもしれませんね。



そんな毎日頑張って通学していた高校で、原さんは驚きの部活生活を送ることになります。
空手・ロボコン・演劇など部活を転々とした高校時代
高校時代の原さんは、空手部、ロボコン部、演劇部など、全くジャンルの違う部活に入っては辞めるを繰り返していました。
中学時代からの通算で、なんと部活動を5回も変更しているというから驚きです。
──原さんはこれまで何かに熱中した経験はないんですか。
原 ないですね……。学生のころも中高の6年間で部活を5個やってるんです。ラグビーを半年で辞めて野球をやって、高校に入ってからは空手を1年で辞めて、ロボコン部も半年で辞めて演劇部に入って……。
引用元:クイック・ジャパンweb
空手部は1年で退部し、ロボコン部に至っては半年で退部。
運動部から文化部、技術系から芸術系へと手当たり次第に挑戦していますが、どれも長くは続きませんでした。
この「定まらなさ」が、逆に今の芸人としての掴みどころのない魅力に繋がっているのかもしれませんね。



いろいろ手を出しても夢中になれなかった原さん。当時の心境はどうだったのでしょうか。
体重58キロで「何にもハマれない」と悟った学生時代
高校3年生の頃の体重は58キロで、自身を「何にもハマれない性格」だと自覚していたそうです。
部活を転々とした結果、原さんがたどり着いた結論は「自分は何にも熱中できない」という虚無感のようなものだったのかもしれません。
相方の吉野さんが生粋のオタク気質であるのとは対照的に、原さんは何事にも執着しないタイプなんですよね。
しかし、そんな「ハマれない男」が唯一長く続いているのが、今の「お笑い」という仕事なのかもしれません。



次は、そんな原さんの高校卒業後の進路について見ていきましょう。
めぞん原一刻の出身大学・専門学校|NSC入学までの道のり
大学進学についての情報は現在非公表
原一刻さんの大学進学については、現時点では具体的な学校名や在籍情報が公表されていません。
高校卒業後に進学したのか、そのまま就職やフリーター生活に入ったのかは定かではないんですよね。
ただ、20歳頃のエピソードとして「トラックのタイヤを外す力仕事」や「ラーメン屋で中華鍋を振る」といったアルバイト経験を語っています。
もし大学に通っていたとしても、学業よりアルバイトやお笑いへの興味が強かった時期なのかもしれません。
こちらの情報についても、新しい事実が分かり次第、追記してお伝えしますね。



「何にもハマれない」と嘆いていた原さんが、ついに自分の居場所を見つけるために動き出します。
お笑い養成所NSC東京校へ22期生として入学
原さんはお笑い芸人を目指し、吉本興業の養成所であるNSC東京校に22期生として入学しました。
部活を転々としていた学生時代とは違い、お笑いの道にはしっかりと腰を据えることになります。
同期には、現在の相方である吉野裕介さんも在籍しており、ここで二人の運命が交差することになるんです。
NSC入学は、原さんにとって「ハマれるもの」を見つけた人生の大きな転換点だったと言えるでしょう。



最後は、これまでの経歴とM-1決勝進出までの道のりを年表で振り返ってみましょう。
めぞん原一刻の経歴|アルバイト生活からM-1決勝へ
ここでは、原一刻さんの生い立ちから現在に至るまでの経歴を時系列でまとめました。
| 1994年7月 | 宮崎県宮崎市にて、本名「原雄大朗」として誕生 |
| 中学・高校時代 | 6年間で部活動を5回変更する(ラグビー、野球、空手など) |
| 時期不詳 | NSC東京校へ22期生として入学・卒業 |
| 20歳頃 | トラックのタイヤを運ぶ等の力仕事アルバイトを経験 |
| 25歳頃 | ラーメン屋で中華鍋を振るアルバイトを経験 |
| 2016年6月 | 吉野裕介とお笑いコンビ「めぞん」を結成 芸名を「原一刻」とする |
| 2024年11月 | 『マイナビ Laughter Night 第10回チャンピオンLIVE』マイナビ賞受賞 |
| 2025年6月 | 「ツギクル芸人グランプリ2025」決勝進出 |
| 2025年12月 | M-1グランプリ2025 決勝進出 |
コンビ名「めぞん」の由来と「一刻」への改名秘話
芸名の「原一刻」は、コンビ名「めぞん」に合わせて漫画『めぞん一刻』から取られたものです。
コンビ結成時、コンビ名を「めぞん」にすることは決まっていましたが、どちらが「一刻」を背負うかで揉めたそうなんですよね。
そこで相方の吉野さんとダーツ勝負をし、負けた原さんが「一刻」と改名することになったという面白いエピソードがあります。
本名の「原雄大朗」から、一度聞いたら忘れないインパクトのある名前になり、結果として芸人としては大正解だったのではないでしょうか。



名前も決まり、下積み時代を経て、ついに大きな花を咲かせます。
力仕事やラーメン屋のバイトを経て掴んだ栄光
「何にもハマれない」と悩んだ学生時代を経て、2025年についにM-1グランプリ決勝進出を果たしました。


若い頃はトラックのタイヤを運ぶ力仕事や、ラーメン屋でのアルバイトなど、様々な職を経験してきた原さん。
部活も続かず、夢中になれるものがなかった青年が、お笑いという世界で相方と共に頂点を目指す姿は胸を打ちますよね。
マイナビ賞の受賞やツギクル芸人グランプリへの決勝進出など、着実に実力をつけ、満を持してのM-1決勝。
これからの「めぞん」と原一刻さんの活躍から、ますます目が離せません!



最後までお読みいただきありがとうございました。これからの活躍を一緒に応援していきましょう!


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