ニッチェ江上敬子の学歴|益田高校から日本映画学校へ!相方と出会った運命の経歴

「THE W 2025」での決勝進出も話題となり、ますます勢いに乗るニッチェの江上敬子さん。
明るいキャラクターで人気ですが、実は元々女優志望だったという意外な過去をご存知でしょうか?
「どこの高校出身なの?」「専門学校は?」と、その学歴が気になりますよね。
ゆかりこの記事では、江上さんの出身校や学生時代の伝説的なエピソードについて詳しく紹介していきます。


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ニッチェ江上敬子の学歴まとめ
ニッチェのボケ担当、江上敬子さんの学歴を小学校から専門学校までまとめてみました。
- 出身小学校:島根県 日原町立日原小学校(現・津和野町立)
- 出身中学校:島根県 日原町立日原中学校(現・津和野町立)
- 出身高校:島根県立益田高等学校
- 出身専門学校:日本映画学校 俳優科(現・日本映画大学)
島根県の自然豊かな町で高校時代までを過ごし、女優を目指して神奈川県の専門学校へ進学していることがわかりますね。



それでは、それぞれの時代の学校生活やエピソードを詳しく見ていきましょう。
ニッチェ江上敬子の出身小学校は島根県の日原小学校
日原町立日原小学校(現・津和野町立)
江上敬子さんの出身小学校は、地元島根県の公立校である日原町立日原小学校です。
2005年の町村合併に伴い、現在は「津和野町立日原小学校」という名称になっています。
学校がある旧日原町(にちはらちょう)は、日本一の清流と言われる高津川が流れる非常に自然豊かな地域なんですよ。
江上さんはこののどかな環境ですくすくと育ったようですね。
ちなみに、同じ小学校出身の有名人について調査しましたが、江上さん以外に公表されている方は見当たりませんでした。



次は、そんな小学生時代の意外なモテエピソードについて紹介しますね。
髪がサラサラで男子にモテた幼少期
実は江上さん、小学生の頃は男子からかなりモテていたそうです。
今のインパクトのあるキャラクターからは少し想像がつかないかもしれませんが、低学年の頃は本当に人気があったんですよね。
なんと、下校時に「誰が江上さんと手を繋いで帰るか」を巡って、男子同士が喧嘩をするほどの争奪戦があったのだとか。
また、トレードマークである現在の「ゴワゴワした髪質」は8歳頃から変化したもので、6〜7歳頃まではサラサラのストレートヘアだったというから驚きです。
小学3年生頃から少しずつ体型がふくよかになり始めたようですが、それも含めて愛嬌のある人気者だったのかもしれませんね。



続いては、江上さんが芸能界を意識するようになった、ある「悔しい出来事」について見ていきましょう。
女優を目指すきっかけは学芸会のおばさん役
江上さんが女優を志すきっかけになったのは、小学校の学芸会での配役でした。
当時、学芸会の劇で主役をやりたいと立候補した江上さんでしたが、残念ながらその希望は認められなかったんです。
代わりに与えられた役は、主役ではなく「おもちゃ屋のおばさん役」。
まだ小学生の女の子にとっては、少しショックな配役だったかもしれませんよね。
しかし、ご本人はこの経験がきっかけで「いつか見返してやる」「絶対に女優になってやる」という闘志に火がついたと過去のインタビューで語っています。
この時の悔しさが、後の日本映画学校への進学、そして現在の活躍に繋がっていると思うと感慨深いですね。



次は、中学校時代のエピソードへと進んでいきます。
ニッチェ江上敬子の出身中学校は日原中学校
日原町立日原中学校(現・津和野町立)
江上敬子さんの出身中学校は、地元である日原町立日原中学校です。
小学校と同じく、2005年の合併により現在は「津和野町立日原中学校」に校名が変更されています。
実家のある日原町内の公立校へ、地元の友人たちと共に進学されたようですね。
小学校から中学校まで地元の公立校に通っているため、幼馴染たちとは非常に長い付き合いだったのではないでしょうか。
なお、同校出身の他の有名人についても調査を行いましたが、現時点では公表されている情報は見当たりませんでした。
もし今後新たな情報が出てくれば、追記してお伝えしますね。



次は、中学校時代の部活動について見ていきましょう。
学生時代は卓球部に所属していた
江上さんは中学校時代、卓球部に所属して活動していたそうです。
テレビ番組やブログなどで、学生時代に卓球をやっていたことを明かしています。
ただ、当時の大会成績や具体的なエピソードについては、詳しく語られている資料が現時点では確認できませんでした。
現在の江上さんは料理上手で家庭的なイメージが強いですが、学生時代はスポーツにも汗を流していたんですね。
運動部の活動を通じて培った体力や根性が、現在のお笑い芸人としてのハードな活動を支えているのかもしれません。
さて、ここまでは実家から通っていましたが、高校からは生活が一変します。



続いては、祖母の家での下宿生活が待っていた高校時代のエピソードへ進んでいきましょう。
ニッチェ江上敬子の出身高校は進学校の益田高校
島根県立益田高等学校の歴史と特徴
江上さんが進学したのは、島根県益田市にある県立益田高等学校です。
1912年(大正元年)に開校された伝統ある県立高校で、地元では中堅の進学校として知られています。
普通科だけでなく理数科も設置されており、文武両道を掲げる歴史ある学校なんですよ。
有名な卒業生には、NHK大河ドラマ『篤姫』などを手がけた脚本家の田渕久美子さんがいらっしゃいます。
江上さんは高校時代まで「ぽっちゃり体型」だったそうですが、この高校で自身の将来につながる感性を磨いていたのかもしれませんね。



次は、そんな高校時代の少し変わった生活環境についてお話しします。
祖母の家に下宿した3年間の反抗期
実は高校時代、江上さんは実家を離れて母方の祖母の家で下宿生活を送っていました。
実家から高校までの距離が遠かったため、通学のために祖母の家から通うことになったんです。
実家からだと高校まで遠いので、高校の近くに1人で住んでいたばあちゃんの家に下宿していた感じです。
ただ、このおばあちゃんとの生活は、決して穏やかなものではなかったようです。
おばあちゃんは無口で愛想がなく、江上さんが近づくと「暑いからあっちに行って!」と突き放すような態度をとることもあったのだとか。
一方の江上さんも当時は反抗期真っ只中。
そんな祖母に対して「うるせぇ!ばばぁ!」と暴言を吐いてしまうなど、顔を合わせれば喧嘩ばかりの毎日だったといいます。
その頃のばあちゃんは、愛想がなかったし、無口だし、私が側に行くと『あついからあっちに行って!』とか、ツンツンしていて、私もその頃反抗期だったので、『うるせぇ!ばばぁ!』とか言っちゃって、よくケンカしていました。
多感な時期だけに、素直になれない二人の関係性が目に浮かぶようですね。



しかし、そんな喧嘩ばかりの日々にも終わりの時が訪れます。
卒業時の祖母の涙と上京の思い出
喧嘩ばかりだった祖母との生活は、涙のお別れで幕を閉じました。
高校卒業後、東京(神奈川)の専門学校へ進学が決まった江上さんは、3年間お世話になった祖母に別れを告げます。
その際、照れ隠しもあったのか「三年間ありがとうございました。でも清々したでしょ?」と憎まれ口を叩いてしまったそうです。
すると、いつもは無愛想な祖母が「さみしい」と言って涙を流したのです。
私が東京の専門学校に行くことが決まり、お母さんに『三年間お世話になったんだから、挨拶くらいしなさい』と言われたので、ばあちゃんの家に行って『三年間ありがとうございました。でも清々したでしょ?』と憎まれ口を叩くと、ばあちゃんは泣きました。
引用元:ニッチェ江上敬子オフィシャルブログ
この時の祖母の涙を見て、江上さんは厳しさの裏にあった深い愛情に初めて気づいたのかもしれませんね。
こうして祖母に見送られ、江上さんは夢である「女優」を目指して関東へと旅立ちます。



続いては、人生の転機となった専門学校時代のエピソードを見ていきましょう。
ニッチェ江上敬子の出身校は日本映画学校(専門学校)
高校卒業後、江上さんは神奈川県川崎市にあった「日本映画学校」に進学しました。
- 学校名:日本映画学校(現・日本映画大学)
- 学科:俳優科
- 主な卒業生:ウッチャンナンチャン、出川哲朗、狩野英孝
多くのお笑い芸人を輩出している名門校ですが、入学当初の目的はあくまで「女優」になることだったんですよね。
それでは、人生が大きく動き出した専門学校時代のエピソードを深掘りしていきましょう。
日本映画学校俳優科(現・日本映画大学)
江上さんが卒業したのは、1975年に開校し、数々のスターを世に送り出してきた日本映画学校です。
現在は改組され「日本映画大学」となっていますが、当時は専門学校として運営されていました。
江上さんは「俳優科」に在籍し、真剣に演技の勉強に取り組んでいたそうです。
同校の卒業生には、ウッチャンナンチャンや出川哲朗さん、狩野英孝さんなど、そうそうたるお笑い芸人が名を連ねています。
結果的にお笑いの道に進むことになりますが、この学校を選んだことが運命の分かれ道だったのかもしれませんね。



そんな専門学校時代の江上さんですが、実は今とは見た目がかなり違っていたようです。
体重が軽くかなりモテていた専門学校時代
専門学校時代の江上さんは、現在よりも体重が約30kgも少なく、非常にスリムだったそうです。
ご本人も当時のことを振り返り、「かなりモテた」と語っています。
小学生の頃もモテていたという話がありましたが、専門学校時代は人生で二度目の「モテ期」だったのかもしれませんね。
女優志望でスタイルも良く、演技にも熱心だった当時の江上さんは、周囲から見ても魅力的な存在だったのではないでしょうか。



しかし、ある授業がきっかけで、彼女の進路は「女優」から「芸人」へと大きく舵を切ることになります。
漫才の授業がきっかけでニッチェを結成
お笑いコンビ「ニッチェ」結成のきっかけは、学校のカリキュラムにあった漫才の授業でした。
この授業で江上さんはネタを多く書き、それが先生から高く評価されたんです。
その才能を見抜いた先生から「芸人になったほうがいい」と強く勧められたことが、お笑いの道へ進む決定打となりました。
そして、同じ授業を受けていた同級生の近藤くみこさんと意気投合し、コンビを結成。


女優を目指して入学した学校で、一生の相方と巡り会うことになるとは、まさに運命的な出会いですよね。



ここからは、学校を卒業しプロの世界へ飛び込んだ江上さんの活躍の歴史を振り返っていきます。
ニッチェ江上敬子の経歴|女優志望から人気芸人へ
最後に、江上敬子さんがニッチェを結成してから現在に至るまでの輝かしい経歴を振り返っていきます。
ニッチェ江上敬子のこれまでの経歴年表
女優志望からお笑いの道へ転身し、仕事もプライベートも充実させてきた江上さんの歩みを年表にまとめました。
| 年 | 出来事 |
| 1984年 | 島根県鹿足郡日原町(現・津和野町)に生まれる |
| 2005年頃 | 専門学校の同級生・近藤くみことお笑いコンビ「ニッチェ」を結成 |
| 2008年 | 『ライブ!お笑いスター誕生!!』でグランドチャンピオンを獲得 |
| 2011年 | マセキ芸能社に所属 「NHK新人演芸大賞」で大賞を受賞しブレイク |
| 2012年 | ドラマ『恋愛ニート』で念願の女優デビュー |
| 2015年 | 9歳年上の一般男性と結婚 |
| 2016年 | レシピ本『ニッチェ 江上敬子のダンナやせごはん』を発売 |
| 2020年 | 第1子となる男児を出産 |
| 2022年 | 第2子となる女児を出産 |
| 現在 | 島根県ふるさと親善大使「遣島使」としても活躍中 |
2011年のNHK新人演芸大賞受賞が大きな転機となり、バラエティ番組で見ない日はないほどの人気者になりましたね。



次は、現在の活動や彼女の魅力について詳しくまとめていきます。
ブレイクから結婚・出産、現在の活動
江上さんはお笑い芸人として成功を収めただけでなく、料理上手なママタレントとしても多くの支持を集めています。
かつて女優になりたくて上京した江上さんですが、芸人としてブレイクした後、2012年にはドラマ出演を果たし、遠回りしながらも夢を叶えているのが素敵ですよね。
プライベートでは2児の母となり、得意の料理を生かしたレシピ本も出版するなど、活動の幅をどんどん広げています。
また、故郷である島根県の親善大使「遣島使(けんとうし)」を務め、愛する地元への貢献も忘れていません。
学生時代の「おもちゃ屋のおばさん役」という悔しい経験をバネに、今では誰もが知るエンターテイナーへと成長しました。



パワフルで愛にあふれた江上敬子さんの、今後のさらなる活躍を応援していきましょう。


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あの毒舌はお嬢様育ちの証拠?それともハングリー精神?
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