ニッチェ近藤くみこの学歴!暁高校から女優志望で映画学校へ?意外な経歴

「THE W 2025」決勝進出が決まり、高い演技力で注目を集めるニッチェの近藤くみこさん。
実は昔から芸人を目指していたわけではなく、女優志望だったという噂は本当なのでしょうか?
この記事では、近藤さんの出身高校などの学歴や、意外な学生時代のエピソードについて詳しく解説します。
ゆかりモテ期だった高校時代や、相方との運命的な出会いについても見ていきましょう。


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ニッチェ近藤くみこの学歴まとめ
ニッチェ近藤くみこさんの学歴は、三重県四日市市の公立小中学校から、私立高校、そして映画専門学校へと続いています。
まずは、近藤さんがどのような学校に通っていたのか、時系列で整理してみました。
- 出身小学校:四日市市立笹川西小学校
- 出身中学校:四日市市立西笹川中学校
- 出身高校:暁高等学校
- 出身専門学校:日本映画学校(現・日本映画大学)
こうして見ると、地元の三重県で高校まで過ごし、夢を追いかけて上京した流れがよく分かりますね。
特に専門学校は「俳優科」出身ということで、今のコント職人としての演技力の高さにも納得がいきます。



それでは、それぞれの学校時代にどんなエピソードがあったのか、幼少期から順番に見ていきましょう。
ニッチェ近藤くみこの出身小学校と兄たちとのエピソード
出身小学校は四日市市立笹川西小学校
近藤くみこさんの出身小学校は、地元である三重県四日市市内の公立校、四日市市立笹川西小学校です。
近藤さんは1983年生まれで、両親と2人の兄がいる5人家族の末っ子として育ちました。
ちなみに近藤くみこさんの実家やご家族との詳しいエピソードは以下の記事にまとめましたので、併せてご覧くださいね。


学校がある笹川地区は四日市市の南部に位置する住宅地で、近藤さんもごく一般的な家庭で幼少期を過ごされたようですね。
ちなみに、同じ小学校出身の著名人について調査してみましたが、現時点で近藤さん以外には公表されている方は見当たりませんでした。
男兄弟の中で育ったことが、のちの近藤さんのたくましいキャラクター形成に影響を与えているのかもしれません。



実は小学生になる前から、お兄さんたちとの激しいスキンシップがあったそうなんです。
兄2人とのプロレスごっこで技を習得した子供時代
小学校入学前から、近藤さんは兄たちとの「プロレスごっこ」で英才教育?を受けていました。
4歳上と2歳上の二人の兄が当時プロレスにハマっており、近藤さんも5〜6歳の頃からその実験台のように巻き込まれていたそうです。
なんと、幼くして「STF」のような本格的な関節技をかけられることもあったのだとか。
しかし、そこで泣くのではなく「どう動けば技から抜け出せるか」を経験から学び、すり抜ける術を習得していたというから驚きですよね。
また、ある時歯磨き嫌いの兄に息を吹きかけられ大泣きした際、お母さんから「臭いよ、磨いてないんだから」と冷静に言われ、ピタリと泣き止んだというシュールな思い出も。
こうした賑やかな家庭環境が、お笑い芸人としてのタフさを育んだのかもしれません。



続いては、テニスに明け暮れた中学校時代のエピソードを見ていきましょう。
ニッチェ近藤くみこの出身中学校と部活仲間
出身中学校は四日市市立西笹川中学校
近藤くみこさんの出身中学校は、地元である四日市市立西笹川中学校です。
小学校と同じく、三重県四日市市内の公立中学校に進学されています。
西笹川中学校は、団地や住宅街に囲まれた静かな環境にある学校です。
中学時代も引き続き活発だった近藤さんは、部活動に熱中する青春時代を送っていました。
ちなみに、同じ中学校出身の有名人について調査しましたが、公表されている情報の中では近藤さん以外の著名人は見当たりませんでした。



そんな中学時代、部活動を通じてある有名アーティストと運命的な出会いを果たしているんです。
ソフトテニス部でMs.OOJAと切磋琢磨した日々
中学時代はソフトテニス部に所属しており、シンガーソングライターのMs.OOJAさんとは当時からの友人です。
実はお二人は同じ学校ではありませんでしたが、同じ四日市市出身の同級生なんですよね。
他校でありながら同じソフトテニス部に所属していたため、対外試合の会場でよく顔を合わせていたそうです。
Ms.OOJA:私たちは三重県四日市市出身の同級生で、中学生の時、2人ともソフトテニス部だったんだよね。
近藤:そう。学校は違うけど、試合の時にはいつも顔を合わせてて。
部活の試合で切磋琢磨し合う中で仲良くなり、中学時代からの長い付き合いがあるというのは素敵なエピソードですよね。
のちに近藤さんが芸人、Ms.OOJAさんが歌手としてブレイクし、対談などで当時の思い出を語り合うこともあります。



スポーツ少女だった中学時代を経て、次は「モテ期」が到来したという高校時代のお話です。
ニッチェ近藤くみこの出身高校は暁高等学校
暁高校の特徴と自転車競技部の活躍
近藤くみこさんの出身高校は、三重県四日市市にある私立の暁(あかつき)高等学校です。
1946年に開校された歴史ある共学校で、近藤さんは中学校からの内部進学ではなく、高校受験を経て入学されました。
暁高校といえば、特に自転車競技部が全国大会の常連として有名で、スポーツにも力を入れている学校なんですよね。
また、卒業生には声優の小松未可子さんやサッカー選手の太田岳志さんなどがおり、多方面で活躍する人材を輩出しています。
近藤さんもこの活気ある環境で高校生活を送り、後の芸能活動につながる感性を磨いていったのでしょう。



そんな高校時代の近藤さんですが、実は今とは想像がつかないほどの「モテ期」を経験しているんです。
高校時代はモテ期到来?「シックなコギャル」だった過去
高校時代の近藤さんは現在よりも痩せており、男子からかなりモテていた時期がありました。
通学電車で一目惚れされたり、他校の文化祭に行けば必ず声をかけられたりと、まさに「伝説級」のモテっぷりだったそうです。
また、1年ほど「超シックなコギャル」を気取っていた時期もあったのだとか。
ただ、ご両親が厳しかったため、当時付き合っていた彼氏からは「(親の目が厳しすぎて)一緒に歩きたくない」と言われてしまったという、ほろ苦い思い出もあるようです。
ご本人は「痩せていた頃はモテたが、太るとブスと言われる。モテた経験があると性格がひねくれる」と自虐的に語っていますが、華やかな青春時代だったことは間違いありませんね。



高校卒業後は、女優を目指して上京を決意します。そこで運命の出会いが待っていました。
ニッチェ近藤くみこの出身専門学校は日本映画学校
俳優科に入学し女優を目指していた専門学校時代
近藤くみこさんの最終学歴は、日本映画学校(現・日本映画大学)の俳優科卒業です。
この学校はウッチャンナンチャン、出川哲朗さん、バカリズムさん、狩野英孝さんなど、数多くのお笑いスターを輩出していることで知られています。
しかし、当時の近藤さんはお笑い芸人ではなく、あくまで「女優」を目指してこの学校の門を叩きました。
演技の勉強に打ち込んでいたはずが、なぜ芸人の道に進むことになったのか、そこには運命的な出会いがあったんです。
それが、生涯の相方となる江上敬子さんとの出会いでした。
相方・江上敬子との出会いと「芸人への転向」を決めた言葉
相方の江上敬子さんとは、この専門学校の俳優科の同級生として出会いました。


2年生の時にあった「漫才実習」の授業が、二人の運命を決定づけます。
コンビ結成のきっかけは、「相手いる?」「一緒にやる?」と、まるでナンパのような軽いノリで声を掛け合ったことだそうです。
そして卒業間近の進路指導で、ある先生から衝撃の一言を告げられます。
「お前らは女優なんて無理だ。お笑いに行け」
この先生は、実はあの大先輩・内村光良さんの恩師でもあった人物。


プロの目による「女優は無理」という厳しい指摘がきっかけとなり、二人は腹を括って芸人の道を歩むことを決意したのです。



そんな激動の専門学校時代ですが、プライベートではしっかり恋愛も楽しんでいたようですよ。
専門学校時代の恋愛エピソードと驚きの初デート
専門学校時代に交際していた男性とは、初デートから「マシンガントーク」が炸裂していました。
当時の彼との初デートは午前11時に集合したのですが、なんとそこから会話が止まらず、次の日の朝まで喋り続けたという逸話があります。
そして始発で帰る際に「付き合おうか」となり、交際がスタート。
近藤学生時代に付き合っていた人かな。初めてデートした時、午前11時集合だったんだけど会話がずっと止まらなくて。結局次の日の朝までずっと楽しく喋ってて、始発で帰る時に「付き合おうか」ってなったの。
丸一日以上話し続けても飽きない相性の良さは凄まじいですが、近藤さんの「喋りのスキル」はこの頃から健在だったことが分かりますね。



最後は、芸人としてデビューしてから現在に至るまでの経歴をまとめて見ていきましょう。
ニッチェ近藤くみこの経歴|女優志望から人気芸人へ
女優を目指して上京した近藤さんですが、下積み時代の極貧生活を経て、実力派芸人としてブレイクを果たしました。
ここでは、近藤くみこさんのこれまでの歩みを時系列で振り返ります。
| 年 | 出来事 |
| 1983年 | 三重県四日市市にて誕生 |
| 学生時代 | 地元の小中学校、暁高等学校を卒業 |
| 専門学校 | 日本映画学校俳優科を卒業。同級生の江上敬子とコンビ結成 |
| 上京当初 | 兄2人と四畳半の部屋で同居する極貧生活を送る |
| 2005年頃 | 「ニッチェ」活動開始。フリーで賞金稼ぎの日々 |
| 2011年 | マセキ芸能社に所属。「NHK新人演芸大賞」で大賞を受賞しブレイク |
| 2017年〜 | 『キニナル金曜日』『王様のブランチ』などレギュラー出演多数 |
| 2020年 | 『さんまのお笑い向上委員会』Pとの婚約・結婚を発表 |
| 2021年 | 映画『地獄の花園』に出演するなど女優業でも活躍 |
経歴の中で特に衝撃的なのが、上京したばかりの頃の生活です。
なんと、お兄さん2人と一緒に「四畳半の部屋」で同居していたというから驚きですよね。
そんなハングリーな時代を乗り越え、2011年の「NHK新人演芸大賞」受賞を機に一気にスターダムへ。
2020年には番組プロデューサーとの結婚も発表し、公私ともに充実した日々を送られています。



女優志望だった経験を活かした演技力と、持ち前の明るいキャラクターで、これからもお茶の間を笑顔にしてくれることでしょう。


【THE W 2025】ファイナリストの実家まとめ
あの毒舌はお嬢様育ちの証拠?それともハングリー精神?
女芸人No.1を目指す彼女たちの「地元」と「両親」をまとめました。










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