大久保佳代子の実家は田原市の名家!曽祖父は製糸工場の名士で父は丁稚奉公の苦労人

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バラエティ番組で歯に衣着せぬトークを見せる、オアシズの大久保佳代子さん。

大久保さんの実家は愛知県田原市にあり、父方も母方も、かつては地元で財を成した名士の家系でした。

ただし「実家は金持ち」と言い切れないのが、この家族の奥深いところなんです。

一族が築いた工場は時代の波に飲まれて廃業し、お父様は中学卒業後に東京へ丁稚奉公に出ています。

今回は、そんな大久保さんのご実家と家族構成、そしてNHK『ファミリーヒストリー』で明かされたルーツを徹底的に調査しました。

ゆかり

この記事を読めば、大久保さんのあの肝の据わった人柄がどこから来たのか分かりますよ。

この記事を読むと分かること

  • 大久保佳代子の実家がある愛知県田原市のこと
  • 父方・母方の曽祖父が築いた工場と「名士」だった過去
  • 丁稚奉公に出た父・隆治さんと母・秀子さんの人柄
  • 家族構成と、銀行員として働く兄のこと

幼なじみであり相方でもある光浦靖子さんの実家も、同じ田原市にあります。あわせてご覧くださいね。

目次

大久保佳代子の実家は愛知県田原市!渥美半島の自然豊かな町

大久保佳代子さんのご実家があるのは、愛知県田原市です。

渥美半島に位置する、海と農業に恵まれた土地なんですよ。

この町で生まれ育った経験が、大久保さんの飾らない人柄の土台になっています。

ゆかり

まずは気になる実家の場所や、地元での少女時代から見ていきましょう。

実家の場所は愛知県渥美郡田原町(現・田原市)

大久保さんは1971年5月12日、愛知県渥美郡田原町で生まれました。

田原町は2003年に周辺の町と合併し、現在は田原市となっています。

渥美半島の中心にあたるエリアで、温暖な気候を生かした農業と漁業がさかんな土地柄です。

大久保さんのご先祖は、江戸時代からこの田原の地に住んでいたことが分かっています。

かなり古くから根を張ってきた一族なんですね。

なお、ご実家の具体的な住所や現在の様子については公表されていません。

出身小学校・中学校は地元の田原中部小学校と田原中学校

大久保さんの出身小学校は田原町立田原中部小学校、中学校は田原町立田原中学校です。

小学校時代は合唱部に所属していました。

意外にも、子どもの頃から人前で声を出す活動をされていたんですね。

地元の公立校でのびのびと育った、ごく普通の女の子だったようです。

幼なじみの光浦靖子とは小学校から高校まで同じ学校だった

大久保さんを語るうえで欠かせないのが、相方の光浦靖子さんとの関係です。

お二人は小学校から高校までずっと同じ学校に通った幼なじみで、高校3年生のときには同じクラスでした。

しかも光浦さんの実家も、同じ田原市にあります。

同じ町で生まれ、同じ教室で育った二人が、そのまま30年以上コンビを続けているというのは本当にすごいことですよね。

ゆかり

続いては、この記事の本題である「実家は金持ちなのか」という話に入っていきましょう。

大久保佳代子の実家は金持ち?曽祖父は財を成した地元の名士だった

「大久保さんの実家はお金持ちなの?」という疑問への答えは、時代によって違うというのが正確なところです。

2023年4月28日にNHK総合で放送された『ファミリーヒストリー』では、大久保家のルーツが詳しく紹介されました。

その内容が、まさにドラマのような栄枯盛衰だったんです。

ゆかり

ここからは、番組で明らかになった大久保家のルーツをたどっていきますね。

父方の曽祖父・敬次は製糸工場を経営した地元の名士

大久保さんの父方の高祖父にあたる甫吉さんは、地元の開拓を率いるリーダー的な存在でした。

そして曽祖父の敬次さんは、農家から転身して製糸工場を興します。

大久保家の工場が操業を始めたのは1909年のこと。

田原の中心部にあった工場は、30人を超える従業員を抱える規模にまで成長しました。

明治から大正にかけての田原で、これはかなりの成功と言っていいでしょう。

大正の米騒動では町に寄付をして貧しい人々を救った

曽祖父・敬次さんがすごいのは、財を成しただけではないところです。

大正時代に全国へ広がった米騒動の際には、町に寄付をして生活に困っていた人々を救ったという記録が残っていました。

単なるお金持ちではなく、地元から信頼される「名士」だったわけですね。

こうした記録がきちんと残っているあたりに、一族が地域で果たしてきた役割の大きさを感じます。

母方の曽祖父・幾平はサツマイモのデンプン工場を興した

驚くことに、実業家だったのは父方だけではありません。

母方である川口家の曽祖父・幾平さんは、大正期にサツマイモのデンプンから水あめが作れることに目をつけ、工場を立ち上げました。

この事業は昭和初期から1960年代にかけて栄えます。

特に戦後の食糧難の時代には、名古屋や京都、大阪方面からも買い出しの人たちが殺到したというほどの盛況ぶりでした。

父方も母方も、農家から身を起こして事業を成功させた家系。

大久保さんの中にある独立心の強さは、このあたりから受け継がれたものなのかもしれませんね。

しかし一族は廃業し、家は苦しい時代へ

ところが、この繁栄は続きませんでした。

太平洋戦争後、大久保家の工場は大手企業に吸収されてしまいます。

時代のうねりの中で一族は廃業し、そこから苦難の時代が始まりました。

つまり「実家は金持ち」という噂は、曽祖父の代までは事実だけれど、大久保さんが生まれ育った頃はまったく違ったということなんです。

ご本人が裕福な暮らしをしていたわけではありません。

ゆかり

そして、この一族の転落を一身に背負ったのが、大久保さんのお父様だったんです。

大久保佳代子の家族構成は4人!父・母・兄と本人

大久保さんのご家族は、ご両親とお兄さんの4人家族です。

派手なエピソードこそ少ないものの、静かで芯の強いご家族なんですよ。

『ファミリーヒストリー』では、無口だったお父様の本当の思いが明らかになり、大久保さんが涙する場面もありました。

ゆかり

ここからは、大久保さんを育てたご両親とお兄さんについてご紹介します。

父・隆治は中学卒業後に東京で丁稚奉公をした苦労人

お父様のお名前は隆治さんとおっしゃいます。

一族の工場が大手に吸収されたあと、隆治さんは中学を卒業してすぐ、東京の商店へ丁稚奉公に出ました

家計を支えるためです。

名士と呼ばれた家に生まれながら、10代半ばで故郷を離れて働きに出るというのは、どれほど心細かったことでしょう。

その後、隆治さんは故郷の田原へ戻り、結婚して家庭を築きます。

なお、大久保さんが幼い頃の隆治さんは製造業の会社員として働いていたと報じられていますが、勤務先の詳細までは公表されていません。

「やれるだけやればいい」父が芸人の道を止めなかった理由

大久保さんが芸人を目指すと言ったとき、隆治さんは反対しませんでした。

『ファミリーヒストリー』で語られた、その理由がこちらです。

反対はしなかった。やれるだけやればいい。自分は中学出てでっち奉公に行ったので

引用元:NHK『ファミリーヒストリー』

自分が学びたくても学べず、働くしかなかったからこそ、娘には好きなことをやらせたかったんですね。

この言葉を知った大久保さんは、番組でこう漏らしています。

ありがたいし、申し訳ない

引用元:NHK『ファミリーヒストリー』

お父様が自分をどう思っているか分からなかったという大久保さん。

無口なお父様の深い愛情が、番組を通じてようやく伝わった瞬間でした。

母・秀子と夫婦で「子供に惨めな思いはさせたくない」と働いた

お母様のお名前は秀子さんで、昭和19年生まれです。

故郷に戻った隆治さんと結婚し、夫婦で家庭を支えました。

そのときのお二人の思いが、「子供に惨めな思いはさせたくない」というものでした。

一族が没落したあとの厳しい状況で、夫婦がしゃにむに働いて子どもを育てた。

大久保さんのあの度胸と、他人に媚びない姿勢の根っこには、この両親の背中があるのだと思います。

兄は銀行員として活躍している

大久保さんには、お兄さんが一人います。

お兄さんは銀行員として働いており、2023年の時点では岐阜県中津川市にある愛知銀行の支店長を務めていると報じられました。

支店長を任されるということは、堅実にキャリアを積み重ねてこられたということですよね。

妹は芸人、兄は銀行の支店長。

まったく違う道ですが、どちらも「自分の力で道を切り開いた」という点では、ご両親の生き方をしっかり受け継いでいる気がします。

なお、お兄さんの出身校やお名前などの詳しい情報は公表されていません。

ゆかり

続いては、そんなご家族に支えられた大久保さんの学歴と、長い下積み時代を見ていきましょう。

大久保佳代子の学歴は千葉大学!コールセンターで14年働いた下積み時代

大久保さんは、実は国立大学の出身です。

そして売れるまでには、想像を超える長さの下積み時代がありました。

ゆかり

ここでは、大久保さんの学歴と、14年におよぶ下積みについてご紹介します。

出身高校は愛知県立成章高等学校

大久保さんの出身高校は、愛知県立成章高等学校です。

田原市にある県立高校で、光浦靖子さんも同じ高校の出身。

前述のとおり、高校3年生のときには二人は同じクラスでした。

ちなみに成章高校の同窓会は、大久保さんの『ファミリーヒストリー』出演を公式サイトで紹介しています。

地元と母校が、今も卒業生の活躍を見守っているんですね。

大学は千葉大学文学部!お笑いサークルでオアシズを結成

高校卒業後、大久保さんは千葉大学の文学部文学科へ進学します。

国立大学の文学部ですから、かなりの実力です。

そして大学時代、お笑いサークルで光浦靖子さんとコンビ「オアシズ」を結成しました。

結成は1990年、デビューは1992年のことです。

同じ年の10月には、フジテレビの『新しい波』に出演しています。

14年間コールセンターで働きながら芸人を続けた

しかし、そこからが長い道のりでした。

デビュー当初、大久保さんはテレビ出演から外されてしまいます。

理由は「光浦は笑えるブスだが、大久保は笑えないブス」という、あまりにも厳しいものでした。

それでも大久保さんは芸人を辞めず、コールセンターで週2日のペースで14年間働きながら活動を続けます。

転機が訪れたのは2000年。

『めちゃ2イケてるッ!』に「光浦の相方で現在OL」として登場し、ここから一気に注目を集めていきました。

14年です。

普通なら諦めてしまう長さを、淡々と働きながら耐え抜いた。

丁稚奉公から人生をやり直したお父様の粘り強さが、そのまま娘に受け継がれているように思えてなりません。

ゆかり

あの堂々とした姿の裏に、こんなに長い助走期間があったんですね。

大久保佳代子の実家まとめ!名家の誇りと苦労人の父が育てた強さ

大久保佳代子さんのご実家は、愛知県田原市にある古い家系でした。

曽祖父の代には父方・母方ともに工場を興して財を成し、地元の名士と呼ばれる存在だった。

けれどその後に廃業し、お父様は中学卒業と同時に丁稚奉公へ出ることになりました。

「実家は金持ち」という一言では、とても説明できない歴史がそこにあります。

この記事のポイントをまとめます。

  • 実家は愛知県田原市(旧・渥美郡田原町)にある
  • 先祖は江戸時代から田原に住む古い家系
  • 父方の曽祖父・敬次は1909年から製糸工場を経営した名士
  • 大正の米騒動では町に寄付をして人々を救った
  • 母方の曽祖父・幾平はサツマイモのデンプン工場を興した
  • 戦後に工場は大手へ吸収され、一族は廃業した
  • 父・隆治は中学卒業後に東京で丁稚奉公をした苦労人
  • 母・秀子と「子供に惨めな思いはさせたくない」と働いた
  • 家族構成は父・母・兄と本人の4人で、兄は銀行員
  • 学歴は成章高校から千葉大学文学部、下積みは14年におよんだ

裕福だった過去も、苦しかった時代も、どちらも大久保家の歴史です。

その両方を背負ったご両親に育てられたからこそ、大久保さんはあれほど地に足のついた強さを持っているのでしょう。

ゆかり

これからも肩の力の抜けた大久保さんの姿を、たくさん見せてほしいですね。

相方の光浦靖子さんの実家についてもまとめていますので、あわせてご覧くださいね。

大久保佳代子さんの学歴や、14年におよぶ下積み時代については、こちらの記事で詳しくまとめています。

参考:

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