真空ジェシカ川北の学歴と経歴|川越高校から慶應へ進んだ秀才の意外な過去

「M-1 2025」でも決勝進出を決め、M-1決勝の常連、真空ジェシカの川北茂澄さん。
実は慶應義塾大学出身という、超高学歴な経歴の持ち主なんです。
偏差値69の川越高校から名門大へ進んだ秀才が、なぜ芸人の道を選んだのか。
ゆかりこの記事では、川北さんの学生時代の伝説的エピソードや詳しい学歴を紹介していきますね。
川北さんの実家・家族エピソードはこちらの記事にまとめているので、併せてご覧くださいね。
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真空ジェシカ川北の学歴まとめ
真空ジェシカ・川北茂澄さんの学歴は、地元の公立校から難関私大へと続くエリートコースです。
まずは、その輝かしい学歴の全体像を一覧で確認しておきましょう。
- 出身小学校:三芳町立唐沢小学校
- 出身中学校:三芳町立三芳東中学校
- 出身高校:埼玉県立川越高等学校(偏差値69)
- 出身大学:慶應義塾大学 総合政策学部(偏差値70)
このように、埼玉県三芳町の公立小中学校を経て、県内屈指の進学校である川越高校へ進学。
その後、一浪を経て名門・慶應義塾大学に入学されています。
偏差値を見てもわかるとおり、川北さんはお笑いの才能だけでなく、学業においても非常に優秀な成績を収めてこられたんですね。
ちなみに、川北さんの高学歴を支えた裕福な実家や家族のエピソードはこちらの記事に詳しくまとめたので、併せてご覧ください。





では、そんな「高学歴芸人」のルーツはどこにあるのか、まずは小学校時代のエピソードから見ていきましょう。
真空ジェシカ川北の出身小学校は三芳町立唐沢小学校
埼玉県三芳町の公立小学校の特徴
川北茂澄さんの出身小学校は、地元・埼玉県にある三芳町立唐沢小学校です。
三芳町は埼玉県の南部に位置する、自然と住宅地が調和したのどかな地域なんですよ。
公立の学校なので特別な受験などはなく、地元の子供たちが通う一般的な小学校だといえます。
実は、元モーニング娘。の吉澤ひとみさんもこの地域の出身で、なんと川北さんとは家が近所だったそうです。
小学校時代は同じ登校班だったというのですから、驚きの繋がりですよね。



そんなのどかな環境で育った川北さんですが、放課後は意外な趣味に没頭していました。
幼少期から「ぷよぷよ」と剣道に熱中したエピソード
小学生時代の川北さんは、剣道とゲームの「ぷよぷよ」に夢中な少年でした。
剣道を始めたのは小学3年生の頃で、ここから長く続く剣道人生がスタートします。
また、日本習字で八段を取得するなど、一つのことに集中して取り組む才能はこの頃から際立っていたようですね。
一方で、ゲームの「ぷよぷよ」にも相当ハマっていたそうで、幼少期からインドアな遊びも大好きだったんです。
真空ジェシカのネタに見られる「ゲーム文化」や「サブカルチャー」への深い造詣は、この頃の熱中体験がベースになっているのかもしれません。



好きなことには一直線な川北さんですが、そのエネルギーが少し変な方向に向かってしまったこともあるようです。
奇抜な行動?女子への悪戯で親に連絡がいった過去
小学校時代の川北さんは、特定の女子へのイタズラが過ぎて親に連絡がいったことがあるそうです。
幼稚園の頃から好きな女子にスカートめくりなどをしていたそうですが、小学校に入っても同じ女子を追いかけ回していたとのこと。
さすがに見過ごせなかったのか、学校側から親御さんに注意の連絡がいってしまったというエピソードが残っています。
好きな子ほどいじめたくなる小学生特有の行動かもしれませんが、執着心の強さがうかがえますよね。
この「ターゲットを決めたら独自の距離感で詰め寄る」という少し危ない姿勢は、現在の予測不能で尖った芸風に通じるものがあるのではないでしょうか。



次は、お笑いへの目覚めが訪れる中学校時代について見ていきましょう。
真空ジェシカ川北の出身中学校は三芳町立三芳東中学校
応援団長として3年連続で最優秀指揮者賞を受賞
中学校は、地元の公立校である三芳町立三芳東中学校に進学しています。
中学時代も引き続き剣道部に所属していましたが、それ以上に目立っていたのが学校行事での活躍ぶりです。
なんと応援団長を務めたほか、合唱祭などの行事では3年連続で「最優秀指揮者賞」を獲得したという輝かしい実績があるんですよ。
クラスの中心人物として場を仕切る能力は、この頃から高かったようですね。
ご本人もこの中学時代を「人生の絶頂期だった」と語るほど、充実した学校生活を送っていたようです。



そしてこの「絶頂期」に、川北さんの人生を決定づける運命の出来事が起こります。
学芸会でのパロディネタ披露が芸人を志すきっかけに
川北さんが芸人を志すきっかけとなったのは、中学の学芸会でのある体験でした。
学芸会の出し物として、当時大ブレイクしていたお笑いコンビ・レギュラーの「あるある探検隊」のパロディネタを披露したのです。
これが同級生たちに大ウケし、人を笑わせる喜びを知ったことで「将来は芸人になろう」と心に決めたといいます。
パロディや既存のネタを自分流にアレンジして披露するというスタイルは、現在の真空ジェシカの芸風にも通じるルーツと言えるかもしれませんね。



中学で夢を見つけた川北さんは、さらなる高みを目指して県内屈指の進学校へ挑みます。
真空ジェシカ川北の出身高校は偏差値69の川越高校
県内屈指の進学校・埼玉県立川越高校の特徴
高校は、埼玉県内でも屈指の進学校として知られる「埼玉県立川越高等学校」に進学しました。
1899年開校という非常に歴史のある男子校で、その偏差値はなんと69といわれています。
卒業生にはノーベル物理学賞を受賞した梶田隆章さんや、キャスターの辛坊治郎さんなど、そうそうたる顔ぶれが並んでいるんですよね。
映画『ウォーターボーイズ』のモデル校としても有名で、自由で活気のある校風が特徴です。
川北さんは中学時代から成績優秀だったため、この難関校に見事合格されたのでしょう。



しかし、高校に入学してからは勉強よりもあることに熱中しすぎてしまったようです。
剣道部に没頭し現役合格を逃して浪人生活へ
高校時代は剣道部に所属し、勉強そっちのけで部活動に打ち込んでいました。
その実力はかなりのもので、剣道三段を取得するほどの腕前になったそうです。
ただ、あまりに部活に専念しすぎたため成績は振るわず、現役での大学受験には失敗してしまいます。
その後は1年間の浪人生活を送り、予備校の「四谷学院」池袋校に通って勉強漬けの日々を過ごしたとのこと。
「やるときはとことんやる」というこの極端な集中力が、現在のマニアックで突き抜けたネタ作りにも活かされているのかもしれませんね。



浪人の末、川北さんは「芸人になるため」という独特な理由で大学を選びます。
真空ジェシカ川北の出身大学は慶應義塾大学総合政策学部
芸人になることを見据えて慶應義塾大学へ進学
1年間の浪人を経て、名門・慶應義塾大学の総合政策学部(SFC)に入学しました。
偏差値70という超難関学部ですが、受験勉強を頑張った動機が非常にユニークなんです。
すでに芸人になることを決めていた川北さんは、「芸人になるなら、ちょっとぐらいいい大学に入っておいた方がいい」と考えたのだとか。
川北 いや、僕は浪人しているので。その頃は、芸人になるんだったら、ちょっとぐらいいい大学に入っておいた方がいいのかなとも思っていたんです。それも売りの1つになるかな、と。
引用元:NumberWeb
普通なら「芸人になるなら大学は関係ない」と考えそうなところを、あえて高学歴という武器を手に入れようとする戦略的な思考が面白いですよね。
この「逆転の発想」や「計算された行動」は、緻密に構成された真空ジェシカの漫才の基礎になっているようにも感じます。



大学に入学した川北さんは、すぐに本来の目的であるお笑いの活動を本格化させます。
お笑いサークル「オーケイズ」代表とR-1準決勝進出
大学では公認のお笑いサークル「お笑い道場O-keis(オーケイズ)」に所属し、5代目代表を務めるほど精力的に活動していました。
学生芸人としての実力は当時から圧倒的で、なんと学生ながらピン芸人として「R-1ぐらんぷり」の準決勝まで進出した経験があるんです。
さらに、大学在学中の2011年には相方のガクさんを誘って「真空ジェシカ」を結成。


学生芸人の大会で決勝に進出したことがきっかけでプロダクション人力舎にスカウトされており、まさにエリート街道まっしぐらの学生時代でした。
大喜利の強さやピンでの発想力はこの頃すでに完成されており、現在の圧倒的なボケのセンスに繋がっているのは間違いありません。



そんなお笑い漬けの大学生活でしたが、卒業論文のエピソードも川北さんらしく尖ったものでした。
伝説の卒論?フリップネタを提出して卒業
慶應義塾大学を卒業する際、川北さんは論文の代わりに「フリップネタ」を提出したそうです。
川北さんはフリップネタで卒業論文を書いたそうですが、どのような内容でしたか?
川北: 完全に「フリップネタ」を出しましたね。ファイル形式で提出しなきゃいけなかったんで当時ピンでやっていたネタを写真で撮って、Wordにそのまま貼り付けて、下の方に「これはデシリットルの弟子ですね」とか書いて。そういうのをいっぱいやって提出しましたね。
引用元:ワラパー
当時ピン芸としてやっていたフリップネタを写真に撮り、それに解説文を添えて提出したというのですから驚きですよね。
総合政策学部という自由な校風もあったのでしょうが、それを本当にやってのける度胸が凄まじいです。
既存の枠組みにとらわれないこの姿勢こそが、真空ジェシカの「予測不能な漫才」を生み出す原動力になっているのではないでしょうか。



それでは最後に、川北さんのこれまでの経歴を時系列で振り返ってみましょう。
真空ジェシカ川北の経歴|M-1常連となるまでの軌跡
川北茂澄さんの経歴は、学生芸人としての華々しいスタートから、M-1グランプリでの連続決勝進出まで、着実にスターダムを駆け上がっているのが特徴です。
これまでの主な歩みを時系列でまとめましたので、その軌跡をご覧ください。
| 年月 | 出来事 |
| 1989年5月 | 埼玉県入間郡三芳町にて誕生 |
| 2011年1月 | 慶應義塾大学在学中にガクさんを誘い「真空ジェシカ」結成 |
| 2011年 | 学生芸人コンテストでの活躍を機に人力舎からスカウト |
| 2012年5月 | プロダクション人力舎に正式所属 |
| 2013年 | ピン芸人として「R-1ぐらんぷり」準決勝進出 |
| 2019年 | 『マイナビ Laughter Night』チャンピオン大会優勝 |
| 2021年 | M-1グランプリ初の決勝進出(6位) |
| 2022年 | M-1グランプリ2年連続決勝進出(5位) |
| 2023年 | M-1グランプリ3年連続決勝進出(5位) |
| 2024年1月 | 『フットンダ王決定戦』で優勝 |
| 2024年3月 | ラジオ番組内で結婚を発表 |
| 2024年12月 | M-1グランプリ4年連続決勝進出、初の最終決戦で3位 |
| 2025年12月 | M-1グランプリ5年連続決勝進出が決定 |
特筆すべきは、やはりM-1グランプリでの安定した強さでしょう。
2024年には初の最終決戦進出(3位)を果たし、続く2025年も決勝進出を決め、なんと5年連続ファイナリストという偉業を成し遂げています。
プライベートでも結婚を発表され、公私ともに充実期を迎えている川北さん。



その唯一無二の尖ったセンスで、今年こそお笑い界の頂点を取ってくれるはずです。真空ジェシカ・川北茂澄さんのさらなる快進撃から目が離せませんね!


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
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