たくろうきむらバンドの学歴を総まとめ!松山大学中退の理由とNSC首席までの道のり

たくろうきむらバンドの学歴を総まとめ!松山大学中退の理由とNSC首席までの道のり

独特な世界観の漫才で「M-1 2025」決勝進出を果たした、たくろうのきむらバンドさん。

舞台上での立ち振る舞いから、どのような学歴の持ち主なのか気になりますよね。

実は大学を中退し、学生時代から愛媛のスターとして活躍していた伝説があるんです。

ゆかり

この記事では、小学校からNSC首席までの道のりや意外なエピソードを詳しく紹介していきますね。

【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・地元まとめ
実家が太いのは誰?親の職業は? 今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・家族」を徹底調査しました! ぜひチェックしてみてくださいね。

目次

たくろうきむらバンドの学歴まとめ

まずは、たくろうきむらバンドさんの学歴と出身校を一覧でご紹介します。

  • 出身小学校:愛媛県北宇和郡鬼北町の小学校 ⇒ 松山市内の小学校(転校)
  • 出身中学校:愛媛県松山市内の中学校(校名非公表)
  • 出身高校:愛媛県立松山中央高等学校
  • 出身大学:松山大学(中退)
  • 出身専門学校:NSC大阪校 36期

愛媛県の田舎町で育ち、松山市への引っ越しを経て、地元の大学へ進学されています。

大学は中退されていますが、そこには芸人としての強い決意があったようですよ。

ゆかり

それでは、幼少期からのエピソードを時系列で詳しく見ていきましょう。

たくろうきむらバンドの出身小学校は鬼北町から松山へ

愛媛県鬼北町の超田舎から松山市内へ転校

きむらバンドさんは10歳頃まで、愛媛県内でも特にのどかな「鬼北町(きほくちょう)」で育ちました。

鬼北町は、日本で唯一「鬼」の文字が入る自治体として知られていますが、当時はコンビニエンスストアさえもない、非常に静かな環境だったそうです。

本人も「高校生の頃にやっとコンビニができたレベル」と語るほどで、同級生はわずか10人ほどしかいなかったといいます。

そんな密なコミュニティで育ったきむらバンドさんですが、10歳の時に転機が訪れました。

愛媛県の中心地である松山市内への引っ越しが決まり、学校を転校することになったのです。

人口が少なく顔なじみばかりの田舎から、都会の学校へ。

この環境の激変が、彼のお笑い人生における最初の試練となりました。

ゆかり

転校生といえば、どうしても目立ってしまうものですが、きむらバンドさんはある「作戦」に出たんですよ。

転校初日のボケで「いじめ」を回避した

転校初日、きむらバンドさんは「転校生ではないふりをして隣の席の子に話しかける」というボケをかましました。

本来ならガチガチに緊張する場面ですが、あえて堂々と振る舞うことで笑いを取ろうとしたのです。

このボケは見事にウケたのですが、同時に「アイツ調子に乗ってるなぁ」という空気も作ってしまいました。

一歩間違えれば、いじめのターゲットになりかねない危険な状況ですよね。

しかし、運良く同じ学校の2学年上にいとこが在籍していたため、上級生からの圧力やいじめのターゲットになることは回避できたそうです。

この時の「笑いで場を支配する感覚」と「ギリギリの綱渡り」が、彼の肝を据えさせたのかもしれません。

ゆかり

そもそも、小学生にしてこれほど高度な「お笑い脳」を持っていたのはなぜなのでしょうか?

お笑いの原点は吉本新喜劇と明石家さんま

きむらバンドさんのお笑いのルーツは、吉本新喜劇と明石家さんまさんにあります。

幼少期からテレビでお笑い番組を熱心に見ており、ひたすら彼らの真似をしていたそうです。

最初に住んでいた鬼北町では、人口が少なかったこともあり、少しでも面白いことを言えばすぐに「クラスのナンバー1」になれたんだとか。

「面白い=人気者」という成功体験が、幼い彼の心に深く刻まれていたんですね。

この頃に培った「笑いへの貪欲さ」は、中学生になっても彼を助ける大きな武器となっていきます。

ゆかり

続いては、少し大人びた処世術を身につけていく中学校時代のエピソードを見ていきましょう。

たくろうきむらバンドの出身中学校と生きる術としての笑い

具体的な学校名は非公表だが松山市内の中学校か

きむらバンドさんの出身中学校については、具体的な学校名は公表されていません。

ただ、小学校の途中で松山市内に転校し、その後松山市内の高校へ進学していることから、松山市内の公立中学校に通っていた可能性が高いでしょう。

この件については引き続き調査を行いますが、彼の中学時代は「どこの学校か」ということ以上に、「どう過ごしたか」というエピソードが非常に強烈なんです。

思春期に入り、学校内の人間関係も複雑になる中で、きむらバンドさんは独自の「生存戦略」を編み出していました。

それは、ただ面白いことを言うだけでなく、相手をコントロールするような高度なコミュニケーション術でした。

ゆかり

彼が目をつけたのは、クラスのカースト上位にいる「ヤンキー」たちだったのです。

ヤンキーの懐に入る「道化(ファルス)」作戦

中学校時代、きむらバンドさんは「道化(ファルス)」に徹することで、いじめを回避し平穏な学校生活を勝ち取りました。

具体的には、クラスの番長格であるヤンキー生徒の懐に入る作戦です。

彼はヤンキーたちの「武勇伝」を1日10回ほど聞き、その都度「すごいっすね!」と最高のリアクションをとって相手を気持ちよくさせていました。

相手の機嫌が良くなったタイミングを見計らって、自分のおもしろトークを披露する。

こうして「こいつは面白いやつだ」と認めさせることで、いじめのターゲットになることを防いでいたのです。

本人はこの経験から、「笑いは生きるための術(すべ)でもある」と無意識に学んだと語っています。

ゆかり

そんな策士なきむらバンドさんですが、実はこの頃すでに将来の進路を「お笑い」に絞っていました。その理由は意外なコンプレックスにあったんです。

ジャニーズを諦めて吉本を選んだ可愛い理由

きむらバンドさんが吉本興業を目指した決定的な理由は、「前歯が出てしまったから」という可愛らしいものでした。

幼い頃の彼は、将来の夢として「ジャニーズ」か「お笑い芸人」の二択で迷っていたそうです。

しかし、小学校3年生の時に前歯が一本前に出てしまったことで、「あ、これでジャニーズは無理だ」と悟ったといいます。

“ジャニーズ”か“お笑い”のどっちかをやりたいって、いろんなとこで昔から言うてたんですけど、小学校3年生の時に前歯が一本出てきちゃったから、ジャニーズは無理かなと。で、吉本かなっていうのがありました(笑)。

引用元:月間芸人

鏡を見て冷静にアイドルへの道を諦め、吉本一本に絞ったその判断力はさすがですよね。

もし歯並びが違っていれば、今頃アイドルとしてステージに立っていた可能性もあったのかもしれません。

ゆかり

お笑いの道を決意した彼ですが、高校に進学すると、今度は「音楽」の世界に魅了されていきます。

たくろうきむらバンドの出身高校は愛媛県立松山中央高等学校

愛媛県立松山中央高等学校の偏差値や特徴

きむらバンドさんの出身高校は、愛媛県松山市にある「愛媛県立松山中央高等学校」です。

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次