ネコニスズ舘野の若い頃は尖りまくり?実家は前橋で父は元レーサーの家族構成を調査

ネコニスズ舘野の若い頃は尖りまくり?実家は前橋で父は元レーサーの家族構成を調査

愛らしい「赤ちゃん」キャラで注目を集めるネコニスズの舘野忠臣さん。

実は若い頃、今とは真逆でかなり尖っていたことをご存知でしょうか?

群馬県前橋市にある実家や家族構成を調査したところ、お父様が元レーサーという驚きの経歴を持つことが判明しました。

さらに、お母様からの溺愛ぶりや、父の「わがままであれ」という教えが現在の芸風に大きく影響しているようです。

ゆかり

この記事では、舘野さんの意外すぎる過去や、面白すぎるご両親について詳しく紹介していきますね。

この記事を読むと分かること

  • ネコニスズ舘野の若い頃の尖ったエピソード
  • 実家父の元レーサー経歴と現在の活動
  • 母親の溺愛ぶりと姉2人の家族構成
  • 群馬県前橋市の実家での過ごし方

相方のヤマゲンさんの肌事情と実家について調査したところ、双子の優秀な弟さんがいることが分かりました。こちらの記事に詳しくまとめましたので、併せてご覧くださいね。

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目次

ネコニスズ舘野の若い頃は尖っていた?ミルクボーイも認める天才

元コンビ「野球家族」時代のネタと高座名「東家狂四楼」

現在の愛らしい「赤ちゃん」キャラからは想像もつきませんが、若い頃の舘野さんはお笑いに対して非常に尖っていたそうです。

大阪芸術大学の落語研究会に所属していた当時の高座名は「東家狂四楼(あずまやきょうしろう)」。

名前の響きからして、すでにただ者ではない雰囲気が漂っていますよね。

当時は「野球家族」というコンビや「エンジンコータロー」さんとの活動で、インディーズライブなどでかなり尖ったネタを披露していたといいます。

その才能は圧倒的で、先輩であるミルクボーイの2人も「天才」「センスの塊」と憧れるほどだったとか。

出会った頃の印象は?

内海 もう、“天才”です。

ミルクボーイ駒場 センスの塊。

引用元:お笑いナタリー

かつては「自分が面白いことをやっていくんだ」という強い自負があったそうですが、そのプライドを捨てて「赤ちゃん」として甘える道を選んだ現在のギャップが、より一層の面白さを生んでいるのかもしれません。

ゆかり

お笑いだけでなく、当時の私生活もかなり尖っていたようで……。

デザイナーズマンションでモテ生活?お洒落にこだわった学生時代

若い頃の舘野さんは、住む場所へのこだわりも相当強かったようです。

大学時代のエピソードとして、コンクリート打ちっぱなしのデザイナーズマンションに住んでいたことが明かされています。

しかも部屋はガラス張りで、とにかくお洒落な空間だったそうなんですよ。

この物件を選んだ理由はシンプルに「モテたかったから」。

内海 でも確かにこういう部分もありましたよね。ぶりっ子じゃないけど、「かわいい」と言われてモテてる感じ。おしゃれやったし。僕1回、家に行かせてもらったの覚えてます? ただおしゃれっていうだけで選んだ、めちゃくちゃ狭いけどコンクリート打ちっぱなし、ガラス張りのデザイナーズマンションに住んでて。

舘野 当時はモテたくてしょうがなかったんだろうな(笑)。

引用元:お笑いナタリー

友人であるミルクボーイの内海さんも、当時の舘野さんのこの住まいについて語っており、学生時代から周囲とは一線を画す存在感を放っていたことがうかがえます。

「カッコよく見られたい」という当時の欲求が満たされた反動か、今は「ありのままの自分(=赤ちゃん)」でいることに居心地の良さを感じているのかもしれませんね。

ゆかり

そんな尖った学生時代を過ごした舘野さんですが、実家での過ごし方は意外とドライなようです。

ネコニスズ舘野の実家は群馬県前橋市!地元での過ごし方

帰省は年に数回で日帰り?実家ではYouTube撮影と食事がメイン

舘野さんの実家は群馬県前橋市にあり、現在もご両親が暮らしています。

東京で活動しているため、実家への帰省は年に2〜3回程度だそうですが、意外なことにあまり長居はしないそうなんですよ。

実家に帰っても、ゆっくりくつろぐというよりは、やるべきことを済ませてサッと帰るスタイル。

具体的には、お父様とのYouTube番組の撮影を行い、ご飯を食べて、そのまま日帰りで東京に戻ることが多いといいます。

「実家=休息の場」というイメージとは少し異なり、舘野さんにとっては活動拠点の一つに近い感覚なのかもしれませんね。

ゆかり

そんな少しドライにも見える帰省スタイルですが、ご両親との仲が悪いわけでは決してないんです。

実家はくつろぐ場所ではない?現在は両親とビジネスライクな関係

現在の舘野さんと実家の関係は、良い意味で「ビジネスパートナー」のような側面も持っています。

特に2024年夏からは、お父様と「落ち武者」というコンビ名でYouTube活動を開始。

親子で漫才をしたり番組を作ったりと、単なる親子関係を超えたクリエイティブな繋がりがあるんですよね。

ベタベタした関係ではなく、お互いにリスペクトし合いながら、エンターテインメントを生み出す同志のような距離感。

この独特な実家との距離感が、舘野さんの自立心を保ちつつ、甘えるところは甘えるという「赤ちゃん」芸のバランス感覚を養っているのかもしれません。

ゆかり

次は、そんな舘野さんを甘やかして育てた、家族構成について見ていきましょう。

ネコニスズ舘野の家族構成は5人家族!姉2人の末っ子長男

3きょうだいの末っ子長男として「たー君」と呼ばれ育つ

舘野さんの家族構成は、父親・母親・2人の姉・ご本人の5人家族です。

2人のお姉さんがいる「末っ子長男」というポジション。

これだけでも可愛がられる条件が揃っていますが、実際に家庭内では相当甘やかされて育ったそうです。

幼い頃からの愛称は「たー君」。

お姉さんたちやお母様からたっぷりと愛情を注がれ、何をしても許される環境だったことが想像できますよね。

ご本人も、この環境が現在の「赤ちゃん」キャラに直結していると分析しています。

「自分が赤ちゃんキャラを演じることで、周りが『赤ちゃんだから仕方ない』と許してくれる」

そうやって世渡りをしていくスタンスは、まさにこの温かい(甘い?)家族環境があったからこそ確立された生存戦略なのかもしれません。

ゆかり

そして、この家族の中でも特に強烈なキャラクターを持っているのが、お父様とお母様なんです。

ネコニスズ舘野の父は元レーサー!母も過保護で実家が面白い

父・忠次郎は世界王者を目指して渡仏した元バイクレーサー

舘野さんのお父様、忠次郎(ちゅうじろう)さんの経歴は驚くほどアクティブです。

なんと、18歳から28歳までバイクレーサーとして活動し、本気で世界チャンピオンを目指していた過去があるんです。

その情熱は凄まじく、修行のためにフランスへ1年、オランダへ2年間も渡っていたという本格派。

レーサー引退後は政治家を目指して法律専門学校に通うなど、常に大きな夢を追いかけてきたバイタリティーの塊のような方なんですよね。

この「やりたいことはとことんやる」という姿勢は、間違いなく息子の忠臣さんにも受け継がれています。

ゆかり

そんなパワフルなお父様、現在は地元で意外な活動をされています。

現在は群馬ミート勤務でジム経営!親子でYouTube活動も

現在、父・忠次郎さんは前橋市内の食肉加工会社「群馬ミート」に勤務する傍ら、スポーツジムの経営も行っています。

1950年、前橋市生まれ。18歳から28歳までバイクレーサー、その後、政治家を目指し、群馬法律専門学校で学ぶ。現在は前橋市内の食肉加工会社、群馬ミートに勤務しつつ、元気で長生きするためのスポーツジム「ジャプロ」経営。趣味はマラソン。

引用元:mebuku

「元気で長生きするため」のジム「ジャプロ」を運営されており、ご自身もマラソンが趣味という健康志向。

さらに驚きなのが、2024年夏から息子である舘野さんと「落ち武者」というコンビを結成し、YouTubeデビューを果たしていることです。

親子漫才ではお父様がボケを担当。

「私の人生自体、ボケですから」と語るユーモアセンスは芸人顔負けですし、舘野さんのトレードマークであるロン毛も、実はお父様が先に伸ばし始めた影響だとか。

お父様自身が誰よりも人生を楽しんでいる姿が、舘野さんの活動の原動力になっているのかもしれません。

ゆかり

一方、お母様からの愛情も負けず劣らず深いようです。

母親は高級化粧品を差し入れ!現在も続く「甘やかし」エピソード

お母様もまた、舘野さんを徹底的に甘やかして応援し続けています。

ある時、メディアに出た舘野さんが他の芸人から「肌が汚い」といじられているのを見たお母様。

「たー君、汚いのはダメだよ」と心配し、なんと高価な基礎化粧品をわざわざ送ってくれたそうです。

メディアで周りの芸人さんから、「肌汚いな」とか突っ込まれているのを母が見て。僕、たー君って呼ばれてるんですが、「たー君、汚いのはダメだよ」って言って、高価な基礎化粧品を送ってくれたんです。いまだに甘やかされてます。

引用元:mebuku

直接的なお金持ちエピソードこそ語られていませんが、こうした高価な贈り物をさらりとできるあたり、実家の経済的な余裕も感じられますよね。

大人になっても変わらないこの「甘やかされ環境」が、舘野さんの愛されキャラを支える土台となっています。

ゆかり

最後に、舘野さんが長年の下積みを乗り越えられた、お父様の「ある言葉」をご紹介します。

父の教え「わがままであれ」が売れない芸人人生を支えた

ネコニスズ舘野さんが20年以上売れない時代があっても芸人を辞めなかったのは、父・忠次郎さんの教育方針があったからです。

お父様の子育ての目的は「わがままに育ってほしかった」というもの。

「自分の欲しいものは絶対に手に入れろ」「最期までわがままを貫き通せ」「好きなこと以外やらなくていい」

そう言われ続けて育った舘野さんは、お笑いという夢を諦めず、自分を信じて貫き通すことができました。

「赤ちゃん」という最強のわがままキャラを手に入れた今、ご両親の願い通り、舘野さんがお笑いの世界で欲しいものをすべて手に入れる日も近いのではないでしょうか。

ゆかり

今後のネコニスズの活躍から目が離せませんね!

ネコニスズ舘野の若い頃と実家まとめ!父の教えが作った現在の姿

ネコニスズ舘野さんの若い頃の尖ったエピソードから、現在の「赤ちゃん」キャラに至るまで、実家のユニークな教育方針が大きく関わっていましたね。

元レーサーのお父様と過保護なお母様、そして優しいお姉さんたち。

この温かくも強烈な家族構成と、「わがままであれ」という教えが、舘野さんの才能を自由に育てたと言えそうです。

この記事のポイントをまとめます。

  • 若い頃は「東家狂四楼」の名で尖りまくっていた
  • 学生時代はモテたくてデザイナーズマンション住まい
  • 実家は群馬県前橋市で帰省時はYouTube撮影を行う
  • 父は元世界王者候補のバイクレーサーで現在ジム経営
  • 母は高級化粧品を送るほど息子「たー君」を溺愛
  • 父の「わがままであれ」という教えが芸人人生の支え
  • 現在は父とコンビ「落ち武者」を組み親子で活動中

「わがまま」を貫き通した結果、唯一無二の愛されキャラを手に入れた舘野さん。

お父様譲りのバイタリティーと、家族からのたっぷりの愛情を武器に、これからのお笑い界をさらに盛り上げてくれそうです。

ゆかり

M-1などの賞レースでの活躍も、心から応援していきましょう。

相方のヤマゲンさんの肌事情と実家について調査したところ、双子の優秀な弟さんがいることが分かりました。こちらの記事に詳しくまとめましたので、併せてご覧くださいね。

【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。

参考:ネコニスズオフィシャルサイト

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