穏やかな笑顔でお茶の間を和ませてくれるウッチャンこと内村光良さん。 内村さんの実家は熊本県人吉市にある酒屋だということをご存知でしょうか?
実は、ご実家は地元で愛されるお店なのですが、2020年の豪雨災害で被災するという困難に見舞われました。
90代のご両親や妹さんと共に、その時どう行動したのか気になりますよね。
この記事では、内村光良さんの実家の場所や家族構成、そして故郷への復興支援に込めた想いについて詳しくまとめました。
ゆかり家族の絆と地元愛に溢れるエピソードを、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を読むと分かること
- 内村光良の実家・人吉の酒屋の詳細と場所
- 90代の両親と妹・従兄を含む家族構成
- 豪雨災害で実家が被災した際の避難エピソード
- 故郷への愛から制作した映画と復興への想い
内村光良の実家は人吉の酒屋!生まれは松の泉酒造
内村光良さんのご実家について調べると、「酒屋」と「酒造(メーカー)」の2つの情報が出てきて混乱しますよね。
実は、どちらも内村家と深いつながりがあるんです。



ここでは、内村さんの「生まれた家」と「育った家」という、2つの実家の真相について整理していきますね。
実家はコンビニ酒屋SPARを経営!松の泉酒造は母方の実家にあたる
結論から言うと、内村光良さんのご両親が営んでいたのは「酒屋(小売店)」です。
もともとは「亀屋酒店」という名前でお酒を販売するお店でしたが、後にコンビニ形式の「SPAR」へと業態を変えています。
一方、「松の泉酒造」は、内村さんのお母様のご実家(母方の本家)にあたる、本格的な球磨焼酎のメーカーなんです。
“ウッチャン”とは、誰もが知る熊本出身のお笑いタレント・内村光良 殿。
内村殿は球磨郡あさぎり町の出身で御座り、内村殿の母上の実家がこの松の泉酒造殿で御座る。
引用元:熊本城おもてなし武将隊
内村さんのご両親が営むお店と酒造メーカーが非常に近い場所にあった、または親戚として密接に関わっていたため、「実家=酒造」と混同されて伝わることが多いんですね。
松の泉酒造のホームページにも「内村光良さんと松の泉酒造の社長とは従兄弟にあたります」ということが書かれていますね。
内村さんは、小売店の息子として青春時代を過ごしました。



次は、内村さんが育ったご実家の具体的な場所と、そこで起こった出来事を見ていきましょう。
実家の場所は球磨川近くで2020年の豪雨災害により被災した
内村さんのご両親が暮らすご実家(酒屋)は、人吉市を流れる球磨川から約300メートルという場所に位置しています。
この場所はこれまで大きな水害の被害はなかったようですが、2020年7月の豪雨災害では例外でした。
ご自宅は床上浸水の被害を受け、90代のご高齢だったご両親は危機的な状況に陥ってしまったんです。
ご両親は、浸水する自宅の中で脚立を使って天井の板を上げ、屋根裏に避難するという壮絶な体験をされました。
両親は脚立に上って天井の板を上げて、屋根裏に避難した。ゴーッじゃなくてスーッと水が上がってきたと言っていました。こんなの今までなかったって
引用元:朝日新聞
「90年以上人吉にいるが、ここまでの大雨は初めて」と語るほど、未曽有の災害だったことが分かります。
ご両親が命を守り抜けたのは、本当に強い意志があったからこそと言えるでしょう。



次は、なぜ内村さんが「酒造」と「酒屋」の両方に関わることになったのか、その生い立ちの経緯を追っていきます。
出生地は酒造のある球磨郡上村で小学4年から人吉市に移住
内村光良さんは、まず母方の実家である酒造がある、熊本県球磨郡上村(現在のあさぎり町)で生まれています。
幼少期に松の泉酒造の蔵の中で遊んでいたというエピソードは、この時期のものなんですよ。
そして、小学4年生になるタイミングで、ご両親と共に人吉市へと引っ越しをしました。
ここから高校卒業までの多感な時期を、ご両親が営む酒屋のある人吉市で過ごすことになります。
多感な時期を過ごした人吉市を「故郷」と公言しているのは、この生い立ちの経緯があったからなんですね。



次は、内村さんの温かい家族構成と、彼を支えた兄弟・従兄について見ていきますね。
内村光良の家族構成は父・母・妹の4人家族で従兄も有名人
内村光良さんの温かい人柄は、育った家庭環境が大きく影響していると言えそうです。
家族構成は、ご両親と内村さん、そして妹さんの4人家族です。
また、親戚にはテレビ業界で活躍する有名な方もいらっしゃるんですよ。



ここでは、内村さんの家族の絆や、業界でも知られる従兄弟との関係について詳しくご紹介します。
家族構成は両親と妹と本人の4人で温かい家庭に育つ
内村光良さんは、お父様、お母様、そして妹さんの4人家族の中で長男として育ちました。
ご両親は現在もご実家のある人吉市で暮らしており、妹さんも地元にいらっしゃるようです。
離れて暮らしていても家族の絆は非常に強く、何かあればすぐに連絡を取り合う仲なんですよ。
例えば、2020年7月に熊本を襲った豪雨災害のときのことです。
東京にいた内村さんのもとに、地元の危機的な状況を知らせる電話をかけたのは妹さんでした。
妹さんからの連絡で、内村さんはすぐに実家の異変を知ることができたんですね。
家族が互いに気遣い合う温かい関係性が、このエピソードからも伝わってきます。



次は、内村さんと深い絆で結ばれている「有名人の従兄」について見ていきましょう。
従兄は放送作家の内村宏幸で「あんちゃん」と呼ぶ深い仲
実は、内村光良さんの従兄(いとこ)は、放送作家の内村宏幸さんなんです。
『サラリーマンNEO』や『LIFE!』など、内村さんが出演する多くの番組に携わっている方なんですよ。
内村さんは宏幸さんのことを親しみを込めて「あんちゃん」と呼び、慕っているそうです。
仕事上のパートナーとしてだけでなく、親戚としても非常に信頼し合っている関係なんですね。
2020年の豪雨災害の際にも、宏幸さんはTwitter(現X)で実家の状況について発信していました。
「被害はあったものの、家族親戚は無事」といち早く報告し、ファンや関係者を安心させてくれたんです。
お笑いコンビ・ウッチャンナンチャンの内村光良のいとこで放送作家の内村宏幸氏が4日、自身のツイッターに投稿。熊本県での記録的な豪雨で大きな被害が出ていることに関連し、「我が地元の街が大変な被害に遭いました。多少の被害はありましたが、内村家の家族親戚は無事です。各方面ご心配ありがとうございます」と報告した。
引用元:デイリースポーツ
公私ともに支え合うお二人の関係は、まさに兄弟のような絆と言えるかもしれませんね。



続いては、内村さんの映画制作のルーツとも言える、高校時代の家族とのエピソードをご紹介します。
高校時代に実家の酒屋を手伝った報酬で映画機材を購入していた
内村さんは高校生の頃、実家の酒屋の仕事を積極的に手伝っていました。
そして、その手伝いの報酬としてご両親からもらったお小遣いを、ある特別なことに使っていたんです。
それが、映画撮影用の機材を揃えることでした。
当時の高校生にとって、撮影機材は決して安い買い物ではなかったはずですよね。
それでもコツコツと実家の手伝いをして資金を貯め、機材を買い揃えていったそうです。
そして、その機材を使って自主映画を制作・上映していたというのですから驚きです。
ご両親も、内村さんの「映画を撮りたい」という情熱を理解し、応援してくれていたのでしょうね。



次は、そんな内村さんの情熱の源となったお父様と、家族を支えるお母様について詳しく見ていきます。
内村光良の父親と母親は90代で妹との家族仲も非常に良い
内村光良さんのご両親は、現在90代という高齢になられています。
ご実家の人吉市で仲睦まじく暮らしており、内村さんにとっても心の支えとなっている存在です。



ここでは、今の内村さんを作り上げたお父様の影響や、お母様の温かいエピソード、そして妹さんとの絆について深掘りしていきますね。
父親は8ミリカメラが趣味!ウッチャンの映画監督としての原点となる
内村さんが映画監督としても活躍されている背景には、実はお父様の存在が大きく関係しているんです。
お父様は昔から、趣味で8ミリカメラや映写機を持っていたそうなんですよ。
子供の頃、運動会などの行事があるたびに、お父様が8ミリフィルムで撮影してくれていたといいます。
そんな父の姿を見て育ち、家にあった撮影機材に触れていたことが、内村さんが映像の世界に興味を持つ最初のきっかけになりました。
まさに、今の「映画監督・内村光良」の原点は、お父様の趣味にあったと言っても過言ではありません。
親子で同じものに興味を持ち、それが将来の道に繋がっていくなんて、とても素敵なエピソードですよね。



次は、そんな内村さんを食で支えたお母様の味について見ていきましょう。
母親のお袋の味はチャーハンと豆ご飯
多忙な芸能生活を送る内村さんにとって、お母様の手料理は何よりもホッとする味のようです。
以前、番組『世界の果てまでイッテQ!』の中で、内村さんは自身の「お袋の味」について語ったことがありました。
そこで挙げられたのが、「チャーハン」と「豆ご飯」だったんです。
高級な料理ではなく、家庭的な温かさを感じるメニューというのが、飾らない内村さんらしくてほっこりしますよね。
また、お母様は非常に芯の強い方でもあるようです。
2020年の豪雨で実家が浸水した際も、90代のご高齢でありながら、お父様と一緒に脚立を使って屋根裏へ避難されました。
「90年以上住んでいて初めて」という恐怖の中で生き延びられたのは、ご両親の生きる力強さがあったからこそでしょう。



続いては、そんなご両親を近くで見守る妹さんとの連携についてお話ししますね。
妹とは豪雨災害時にすぐに連絡を取り合うなど強い絆がある
内村さんには妹さんがいらっしゃいますが、兄妹仲も非常に良好なようです。
特に家族の危機においては、その連携の良さが際立っていました。
先ほども触れた2020年の豪雨災害の際、東京にいる内村さんに地元の緊迫した状況を伝えたのは妹さんでした。
離れて暮らしていても、妹さんからの連絡があったからこそ、内村さんもすぐに状況を把握し、両親の安否を気にかけることができたんですね。
また、普段からお互いに連絡を取り合い、高齢のご両親のことを気にかけている様子がうかがえます。
困った時にすぐに頼れる家族がいるというのは、何よりも心強いことですよね。



次は、内村さんの少年時代の様子や、故郷・人吉への熱い想いについて詳しく見ていきます。
内村光良の出身校や幼少期と地元・人吉への復興支援の想い
内村光良さんは、小学4年生から高校卒業までを人吉市で過ごしました。
多感な時期を過ごしたこの街は、彼にとってかけがえのない故郷であり、今の活動の原動力にもなっています。



ここでは、やんちゃだった少年時代のエピソードや、被災した故郷のために彼が起こした「ある行動」についてご紹介しますね。
人吉市の学校に通い焼酎蔵で遊ぶヤンチャな少年時代だった
内村さんは小学4年生の時に人吉市に引っ越してきてから、地元の小中学校、そして高校へと通いました。
具体的な学校名は公表されていませんが、地元・人吉の学校で青春時代を過ごしたのは間違いありません。
幼少期はとても活発な男の子だったようで、実家と縁のある松の泉酒造の蔵が格好の遊び場だったそうです。
蔵の中にある仕込みカメやムロ(麹室)の中で遊び回るという、酒屋と関わりの深い環境ならではの「ヤンチャな少年」だったんですよ。
※ウッチャンは、松の泉酒造で生まれ育ちました。
蔵の中の仕込カメやムロの中で遊びまわるヤンチャな少年でした。今でも毎年墓参りに帰省し、当酒造を訪れています。当酒造の社長とは、いとこにあたります。
引用元:松の泉酒造
焼酎の香りと共に育ったわんぱくな少年が、やがて日本を代表するコメディアンになるなんて、当時の大人たちは想像していなかったかもしれませんね。



次は、上京して芸人として歩み始めた内村さんを支えた、実家からのユニークな仕送りについてお話しします。
若手時代には実家から毎月ビールのミニ缶が仕送りされていた
高校を卒業して上京し、若手芸人として奮闘していた頃、内村さんの元には実家から定期的に仕送りが届いていました。
その中身が、なんとも酒屋の息子らしいものだったんです。
なんと、ビールのミニ缶1ケースが毎月送られてきていたそうなんですよ。
食料や日用品を送る親御さんは多いですが、ビールを送ってくれるというのは、酒屋を営むご実家ならではのエピソードですよね。
「東京でも頑張れ」というご両親なりの応援の気持ちが、その缶ビール一本一本に込められていたのでしょう。



そんな温かい家族愛に支えられてきた内村さんは、故郷が未曾有の危機に瀕した時、自身の得意分野で恩返しをしようと立ち上がります。
故郷への愛から映画『夏空ダンス』を制作し復興を応援
2020年の豪雨災害で変わり果てた故郷の姿を見た時、内村さんは「本当にショックで、本当に苦しかった」と語っています。
しかし、ただ悲しむだけではありませんでした。
「復興途上にある故郷の『今』を映像に残したい」という強い想いから、短編映画『夏空ダンス』を制作したんです。
この映画は、災害の爪痕が残る人吉球磨地域を舞台に、街のたくましさや青春を描いた作品です。
撮影場所には、取り壊しが決まっていたお店などをあえて選び、かつての故郷の面影をフィルムに焼き付けました。



「何とかここをしのいで、踏ん張ってほしい」という内村さんの切なるエールが、映画という形になって地元の人々を勇気づけたんですね。
内村光良の実家まとめ!人吉の酒屋で育まれた家族との強い絆
内村光良さんの実家は、熊本県人吉市で愛される酒屋さんでしたね。
90代のご両親と妹さん、そして従兄のあんちゃんといった温かい家族に囲まれて育ったことが分かります。
豪雨災害という困難も、持ち前の家族の絆で乗り越えてこられた姿には胸が熱くなりました。
この記事のポイントをまとめます。
- 実家は人吉市の酒屋で松の泉酒造とも親戚関係
- 家族構成は90代の両親と妹との仲良し4人家族
- 従兄は放送作家の内村宏幸さんで公私共にパートナー
- 2020年の豪雨で実家が被災し両親は屋根裏へ避難
- 映画監督の原点は父親が趣味で撮っていた8ミリカメラ
- 復興への願いを込めて映画『夏空ダンス』を制作
映画制作や番組での優しい笑顔の裏には、故郷・人吉への深い愛と家族の支えがあったんですね。
困難な状況でもユーモアと優しさを忘れない内村さんの姿は、私たちにも元気を分けてくれます。



これからも故郷への想いを胸に、さらなる活躍を見せてくれることでしょう。










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