ヤーレンズ楢原の学歴と経歴|出身高校は池田北?大学受験失敗からM-1戦士へ

「M-1 2025」で3年連続決勝進出を決め、インテリ風の見た目と鋭いボケが印象的なヤーレンズ楢原真樹さん。
実は「両親が教師」のご家庭ですが、偏差値38の高校時代を過ごしたという意外な学歴の持ち主なんです。
大学受験の失敗をバネに、M-1準優勝まで駆け上がった逆転劇は必見。
ゆかりそんな楢原さんの愛すべき学生時代のエピソードを、詳しく紹介していきますね。
楢原さんの実家・家族エピソードはこちらの記事にまとめているので、併せてご覧くださいね。
【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。


ヤーレンズ楢原真樹の学歴まとめ
まずは、ヤーレンズ楢原真樹さんの学歴を一挙にご紹介します。
- 出身小学校:大阪府池田市内の小学校(校名不明)
- 出身中学校:池田市立池田中学校(大阪府)
- 出身高校:大阪府立池田北高等学校(現在は廃校)
- 出身大学:進学せず
- 専門学校:NSC大阪校(28期生)
両親が教師という家庭環境ながら、大学には進学せずに芸人の道を選んでいるのが特徴的ですね。



それでは、それぞれの時代を詳しく深掘りしていきましょう。
ヤーレンズ楢原真樹の出身小学校とエピソード
出身は大阪府池田市!小学校名は不明だが地元校に通学か
ヤーレンズ楢原真樹さんの出身小学校は、残念ながら公表されておらず特定できていません。
ただ、出身地は「大阪府池田市」であることが公式プロフィールでも明言されています。
このことから、池田市内の公立小学校に通っていた可能性が非常に高いですね。
ちなみに、楢原さんの実家や家族とのエピソードはこちらの記事にまとめたので、併せてご覧ください。


池田市といえば、大阪国際空港(伊丹空港)があることでも知られる北摂の街。
2025年10月には、相方の出井さんと共に「池田市観光大使」にも就任しているんですよ。
ヤーレンズ・楢原真樹さんが「池田市観光大使」に就任!
~ 10月17日に市役所で委嘱式~引用元:池田市
M-1グランプリでの活躍をきっかけに、地元への貢献も始まっているのが素敵ですよね。
具体的な校名については、引き続き調査を進めて分かり次第追記していきます。



小学校時代のエピソードといえば、実はある「有名人」との関係が見逃せません。
小学校時代から声優・岩崎諒太とは同級生だった
楢原さんは、人気声優の岩崎諒太さんと小学校時代の同級生です。
岩崎諒太さんといえば、映画『THE FIRST SLAM DUNK』などの話題作に出演されている実力派声優さんですよね。
二人の関係は非常に長く、小学校時代から同じ時間を共有していた幼馴染のような間柄。
楢原さんの芸風といえば、マシンガントークで相手を翻弄するスタイルが持ち味ですが、幼い頃から気心の知れた友人たちと喋り倒していたのかもしれません。
大人になってからも、お互いが「お笑い」と「声優」というエンタメの世界で活躍しているのは感慨深いものがあります。



そんな岩崎さんとの関係は、中学校時代にさらに深まっていきます。詳しく見ていきましょう。
ヤーレンズ楢原真樹の出身中学校とエピソード
出身中学校は池田市立池田中学校の可能性が高い
楢原さんの出身中学校は、「池田市立池田中学校」である可能性が非常に高いです。
これは、過去のX投稿や出身小学校(地域)からの推測によるものですが、地元の公立中学校に通っていたことは間違いないでしょう。
こちらのポストで楢原さん自身が「俺、池中!!」と発言されているので、池田中学校出身はかなり有力です。
池田中学校は、池田市の中でも歴史ある学校の一つ。
地元・池田市を愛する楢原さんにとって、青春時代を過ごした大切な場所なんですね。
ちなみに、この頃もまだ「お笑い芸人になりたい」という明確な夢は持っておらず、ごく普通の中学生として過ごしていたようです。



しかし、この中学校時代に、今の楢原さんの「ルーツ」とも言えるある趣味が爆発します。
同級生の岩崎諒太にサザンオールスターズを熱心に布教
中学校時代、楢原さんは同級生の岩崎諒太さんに対して、サザンオールスターズを猛烈に「布教」していました。
楢原さんは大のサザン好きとして知られていますが、その愛は当時から筋金入りだったんですね。
岩崎さんによると、あまりの熱心さに影響を受けて、実際にサザンを好きになり始めたのだとか。
ウィキペディア見てたら、楢原真樹さんの趣味が“サザンオールスターズを聞くこと”って書いてて、確かに!って。俺、中学校の時に布教されてるんですよ。“サザンめっちゃ良い”って。CD借りたりして、そっから俺もサザン好きになりはじめた」と思い出を語った。
引用元:スポニチアネックス
自分の好きなものを相手に情熱的に語り、巻き込んでいくスタイル。
これは、一方的に喋り倒して相方の出井さんを巻き込んでいく、現在のヤーレンズの漫才スタイルそのものだと感じませんか?
中学生の頃から、その「圧倒的な話術」と「押し切る力」の片鱗を見せていたのかもしれませんね。



さて、次は最も謎が多い「高校時代」です。
ヤーレンズ楢原真樹の出身高校は池田北?偏差値38の真相
YouTubeで告白!出身高校はすでに廃校になった池田北か
楢原さんの出身高校は、「大阪府立池田北高等学校」であった可能性が高いと推測されます。
実は公式には高校名を公表していないのですが、鬼越トマホークのYouTubeチャンネルに出演した際、「高校の偏差値は38」「その高校はもう廃校になっている」と衝撃の事実を語っていたんです。
楢原さんの地元である池田市周辺で、偏差値や廃校(統合)の条件に合致するのが「池田北高等学校」なんですね。
同校は2018年に閉校(統合)されており、楢原さんの発言とも辻褄が合います。
インテリ風の眼鏡とスーツ姿からは想像できない「偏差値38」という数字に、驚いたファンも多かったのではないでしょうか。



さらに驚きなのが、ご両親の職業とのギャップです。
両親は国語教師だが勉強苦手?偏差値38のエピソード
楢原さんのご両親は、なんと二人とも「国語の教師」をされています。
教育熱心な家庭環境かと思いきや、本人は勉強が全くできず、先述の通り偏差値38の高校に通うことに。
ご本人曰く、当時は「ゴールデン番組でお笑いを見る、ごく普通の高校生」だったそうです。
また、特技にギターやクラリネットを挙げていることから、吹奏楽部などで音楽に親しんでいた可能性もありますね。
勉強よりもエンタメや音楽といった感性を磨くことに時間を使っていたのかもしれません。
この「型にはまらない」生き方が、後の独創的な漫才スタイルに繋がっているとも言えそうです。



しかし、高校卒業と同時に、楢原さんは人生初の大きな挫折を味わうことになります。
大学受験に失敗し「何もすることがない」絶望を味わう
高校卒業後、楢原さんは大学受験に失敗し、進路が完全に白紙になってしまいました。
「芸人になるために大学に行かなかった」わけではなく、結果的に行く場所がなくなってしまったんですね。
当時の状況を「何もすることがない」と振り返っており、かなり追い詰められた状況だったことが伺えます。
周りの同級生たちが大学生活を謳歌し始める中、一人取り残された焦りは相当なものだったでしょう。
しかし、この「何もない」空白の時間があったからこそ、予期せぬ形でお笑いの扉が開くことになるのです。



絶望する息子に、お母様がかけた「まさかの一言」が運命を変えました。次の章でご紹介します。
ヤーレンズ楢原真樹は大学進学せずNSCへ入学
芸人になったきっかけは母の「専門学校より安い」という言葉
大学受験に失敗し路頭に迷っていた楢原さんに、NSC(吉本総合芸能学院)を勧めたのはお母様でした。
楢原さんは「大学受験に失敗して、何もすることない、どうする…ってなって。
俺、本当におバカさんだから行ける大学が無かった。
そしたらお母さんから『NSC(吉本興業のお笑い芸人養成所)とかに行ったら?』って言われて」と、母親から勧められたことを明かした。引用元:めざましmedia
その理由が非常にユニークで、「普通の専門学校に行くよりも学費が安いから」というもの。
「夢を追いかけろ」といった熱い言葉ではなく、経済的な理由でのおすすめだったのが面白いですよね。
「何もすることがないなら、とりあえず行ってみれば?」という軽いノリで始まった芸人人生。
もしこの時、お母様が別の安い専門学校を見つけていたら、今のヤーレンズは存在していなかったかもしれません。



そんな経緯で入学したため、周囲の熱い志を持った同期たちとは少し温度差があったようです。
お笑いへの情熱は薄かった?「専門学校のノリ」で入校
楢原さんは、NSCをお笑いの養成所というより「専門学校的なノリ」で捉えて入学しました。
同期のアインシュタイン稲田さんや祇園などが「絶対売れてやる!」と情熱を燃やす中、楢原さんの動機はかなりフワッとしていたようです。
実際、在学中のクラス分けでも下のクラスである「Cクラス」にいたこともあるのだとか。
しかし、この「ガツガツしすぎない、どこか力が抜けたスタンス」こそが、現在のヤーレンズの漫才の魅力である「立ち話のような自然な空気感」に繋がっているのではないでしょうか。
必死さを隠して飄々とボケ続ける楢原さんのスタイルは、この頃から形成されていたのかもしれませんね。



それでは最後に、結成からM-1準優勝までの激動の経歴を振り返ってみましょう。
ヤーレンズ楢原真樹の経歴|M-1準優勝までの軌跡
最後に、ヤーレンズ楢原真樹さんの現在に至るまでの歩みを年表形式でまとめました。
一度は進路を失った青年が、M-1グランプリの決勝という夢の舞台に立つまでのドラマをご覧ください。
| 年 | 出来事・経歴 |
| 1986年 | 11月17日、大阪府池田市で誕生 |
| 2005年 | 高校卒業後、大学受験に失敗。 母親の勧めでNSC大阪校に28期生として入学 |
| NSC時代 | コンビ「すいっちひった〜」として活動 |
| 2011年 | 9月、現在の相方・出井隼之介さんとコンビ結成 (当時のコンビ名は「ヒートアップ」、後に「パープーズ」へ改名) |
| 2014年 | 5月、活動拠点を大阪から東京へ移す 8月、ケイダッシュステージに所属し「ヤーレンズ」に改名 |
| 2023年 | 12月、M-1グランプリ2023で初の決勝進出、準優勝に輝く |
| 2024年 | 2月、第5回ビートたけし杯「お笑い日本一」優勝 M-1グランプリ決勝進出 |
| 2025年 | 10月、地元・大阪府池田市の観光大使に就任 M-1グランプリ決勝進出 |
「何もすることがない」状態から始まった芸人人生ですが、今やM-1グランプリの常連となり、テレビで見ない日はないほどの人気芸人となりました。
偏差値38の高校時代や受験失敗という挫折も、全ては今の笑いを生み出すための伏線だったのかもしれませんね。



地元・池田市の観光大使としても、漫才師としても、楢原さんの今後のさらなる活躍から目が離せません!


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・学歴まとめ
今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・学歴・家族」を徹底調査しました!ぜひチェックしてみてくださいね。










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