ネプチューンのリーダーとして、キレのあるツッコミでお茶の間を沸かせる名倉潤さん。
ネット上では「実家は姫路のどこ?」「実はタイ人?」なんて噂も飛び交っていますが、真相はどうなのでしょうか?
先に結論を言えば、名倉潤さんは純日本人であり、実家は裕福ではなく生活が苦しかったそうです。
顔立ちから誤解されがちですが、ご両親も日本人で、男4人兄弟の末っ子として育ちました。
かつて中目黒でステーキ店を営んでいたお兄さんや、少し意外な経歴を持つご兄弟など、その家族構成も気になりますよね。
この記事では、名倉潤さんの実家の場所や両親の素顔、そして個性豊かな兄弟たちの現在について詳しく紹介していきます。
ゆかり知られざる生い立ちや、妻・渡辺満里奈さんとの絆についても触れていますので、ぜひ最後までご覧ください。
この記事を読むと分かること
- 名倉潤の実家住所と貧乏エピソード
- 両親と4兄弟の家族構成や職業
- 国籍がタイではなく日本である証拠
- 妻・渡辺満里奈と実家家族の絆
同じくネプチューンで活躍している、原田泰造さんと堀内健さんの実家についてもまとめましたので、合わせてご覧ください。




名倉潤の実家住所は兵庫県姫路市大津区周辺と推測
ネプチューンのリーダーとして活躍する名倉潤さん。
関西弁のキレのあるツッコミが印象的ですが、出身地は兵庫県姫路市なんですよね。
世界遺産である姫路城が有名な街ですが、名倉さんの実家はどのあたりにあったのでしょうか?



通っていた学校や、ご本人が語るエピソードから、その場所や当時の暮らしぶりが見えてきましたよ。
出身の大津小学校・広畑中学校から見る地元エリア
名倉潤さんの実家がある場所は、兵庫県姫路市の大津区周辺だと推測されています。
というのも、名倉さんの出身小学校が「姫路市立大津小学校」だからなんです。
一般的に公立小学校の通学区域は自宅の近所になりますから、実家もこのエリアにあった可能性が高いですよね。
また、中学校は「姫路市立広畑中学校」を卒業されています。
当時の地元は少し治安が不安定だった一面もあるようで、名倉さんは「反社会的勢力の事務所が近くにあって怖かった」といったエピソードも語っているんですよ。
学校のトイレでそういった関係者の息子さんと鉢合わせるのが恐怖だったそうですが、そんな環境の中、名倉さんはたくましく育っていったんですね。



次は、そんな名倉さんの実家での意外な暮らしぶりについて見ていきましょう。
実家は生活が苦しかった?ドアに広告を貼っていた子供時代
実は名倉潤さんの実家は、決して裕福ではなく、生活はかなり苦しかったようです。
ご本人がテレビ番組などで「貧乏あるある」として、当時の驚きのエピソードを披露しているからなんですよ。
特に印象的なのが、家の玄関ドアに関するお話です。
なんと、ドアの修繕などに広告のチラシを使っていたそうで、それが色あせてくると今度は頑丈なアルミに変えていたのだとか。
さらに、「高校まで肉を食べられなかった」とも語っていて、初めてお肉を食べたときには体がびっくりして拒否反応が出たというから驚きですよね。
「俺も貧乏すぎて高校まで肉食われへんくて、(食べた時)拒否反応起こしてん。貧乏あるあるやねん、肉食えへんって」としみじみ語っていた。
引用元:スポニチアネックス
今でこそ芸能界で大成功されていますが、子供時代はかなりハングリーな環境だったことがわかります。



続いては、そんな名倉家を支えた家族構成について詳しくご紹介していきますね。
名倉潤の家族構成は両親と男4兄弟の6人家族
名倉潤さんは、ご両親とお兄さんが3人いる、男ばかりの4兄弟の末っ子として育ちました。
6人家族という賑やかな環境で、末っ子ならではの立ち位置やエピソードが気になりますよね。



また、よく話題になる「国籍」や、現在の奥様である渡辺満里奈さんとご家族との温かい絆についても触れていきたいと思います。
両親と兄3人に囲まれた末っ子としての立ち位置
名倉潤さんは、男4人兄弟の末っ子(四男)です。
一番上のお兄さんとは7歳も離れているんですよ。
男兄弟ばかりの中で育ったためか、幼少期は意外にも人見知りな性格だったそうです。
末っ子というと甘えん坊なイメージもありますが、名倉さんの場合は少し違ったのかもしれませんね。
お兄さんたちに囲まれて揉まれながらも、家族の中で自分の立ち位置を見つけていったのでしょう。
今のネプチューンでのリーダーシップや、司会業での見事な仕切り力は、こうした兄弟関係の中で培われたものなのかもしれません。



次は、名倉さんといえば避けて通れない「国籍」の話題について、真実をお伝えしますね。
顔立ちで誤解されるが国籍はタイでなく純日本人
結論から言うと、名倉潤さんはハーフではなく純日本人であり、国籍ももちろん日本です。
彫りの深い顔立ちや色黒な肌から「タイ人ではないか?」とネタにされることが多いですが、ご両親ともに日本人なんですよ。
あまりにもタイの方に似ているため、2013年にはタイ国政府公認の「タイ・セレクト広報大使」に就任したほど。
名倉は、タイ国政府商務省主体でタイ料理の普及などを目指す同キャンペーンの『タイ・セレクト』広報大使に就任。
引用元:オリコンニュース
現地の担当者からも「タイ人らしく見える」とお墨付きをもらうくらいですから、間違われるのも無理はないかもしれませんね。
実は、奥様の渡辺満里奈さんが結婚報告をした際、名倉さんのお母様が「あの方はタイの方でしょう?国際結婚になるけどいいの?」と尋ねたという逸話があります。
後にブラックジョークだったと判明しましたが、実の母親までネタにするなんて、関西人のユーモアあふれる素敵なご家庭ですよね。



続いては、そんな名倉さんが体調を崩された際に見せた、家族の絆について見ていきましょう。
妻・渡辺満里奈が支えた休養期間と実家家族の絆
名倉潤さんは2019年、うつ病により一時休養されましたが、その裏には妻・渡辺満里奈さんと家族の深い支えがありました。
満里奈さんは「仕事なんかやめていいよ」「家だって売ればなんとかなる」と、名倉さんの心を軽くする言葉をかけ続けたそうです。
普段は「弱音を吐いてはいけない」と気を張っていた名倉さんも、この休養期間中には幼少期のつらかったことや悲しかったことを満里奈さんにたくさん話せたといいます。
その時に夫の幼少期の経験とか、つらかったことや悲しかったこととか、今まで聞いたことなかったこともたくさん話しました。夫は「泣いちゃいけない」「弱音を吐いちゃいけない」というタイプだったけど、あの時に肩の荷が降りたんじゃないかと。
引用元:プレジデントオンライン
実家での経験や生い立ちも含めてすべてを受け止めてくれるパートナーの存在が、回復への大きな力になったのは間違いありません。
夫婦の絆、そして家族の温かさを改めて感じさせられるエピソードですよね。



次は、そんな名倉さんを育てたご両親や、個性的なお兄さんたちの現在について詳しく掘り下げていきますね。
名倉潤の父親・母親の人物像と兄弟それぞれの現在
名倉潤さんを育てたご両親は、どのような方たちだったのでしょうか。
また、4人の兄弟たちはそれぞれ全く異なる道を歩んでいることでも知られています。



中目黒で飲食店を経営していたお兄さんや、少し複雑な事情を持つご兄弟まで、家族それぞれの現在について掘り下げていきますね。
父親と母親は80代?高校進学を願った親心と性格
名倉潤さんのご両親についてですが、一般の方ということもあり、職業などの詳細なプロフィールは公表されていません。
ただ、名倉さんの年齢を考えると、ご両親がご健在であれば現在は80代くらいになられていると推測されます。
お母様については、心温まるエピソードが残っていますよ。
中学卒業後、早く働きたいと考えて経理の専門学校を希望していた名倉さんに対し、お母様は「高校だけは卒業してほしい」と懇願されたそうです。
経済的に余裕があったわけではない中で、息子の将来を案じて進学を強く勧めた親心を感じますよね。
名倉さんはその想いに応え、親孝行のつもりで高校進学を決めたといいます。



次は、そんな名倉さんと協力してお店を営んでいた、長男のお兄さんについてご紹介します。
長兄の良知さんは中目黒でステーキ店を経営していた
名倉さんの7歳年上である長兄・名倉良知(よしとも)さんは、長年飲食業界で活躍されていました。
以前は、名倉潤さんがプロデュースした「ステーキなぐら」というお店を中目黒で経営されていたんですよ。
2010年のオープン以来、多くのファンに愛されてきましたが、残念ながら2023年5月に閉店されています。
それ以前にも10年以上イタリアンレストランを経営されていた経験があり、料理人としての腕は確かだったようですね。
兄弟で協力してビジネスを行うなど、長男と末っ子の仲の良さがうかがえるエピソードです。



続いては、他のご兄弟である次男と三男の方について見ていきましょう。
次男と三男は?異なる道を歩んだ兄弟たちの経歴
次男の名倉教文(のりふみ)さんは、名倉潤さんの2歳年上で、他の兄弟とは少し異なる道を歩まれています。
過去には法に触れる事件に関与したとして逮捕された経歴があり、ニュースとして報じられたこともありました。
週刊誌などの報道によると、実刑判決を受けて服役していた時期もあるとされています。
同じ環境で育った兄弟であっても、進む道や生き方はそれぞれ大きく異なるということなのかもしれません。
なお、三男の方については一般の方であり、目立った情報やエピソードは公表されていませんでした。



さて、ご家族の話に続いては、名倉さんご自身の学生時代にスポットを当てていきますね。
名倉潤の出身校と学生時代の意外なモテ伝説
今の名倉潤さんといえば「面白いおじさん」というイメージが強いですが、実は学生時代はかなり様子が違っていたようです。



とんでもない時間をかけて通学していた高校時代や、今の芸風からは想像もつかない「モテ伝説」など、知られざる青春時代のエピソードをご紹介しますね。
片道2時間半!仏教系の私立市川高等学校へ通学
名倉潤さんの出身高校は、兵庫県神崎郡にある「市川高等学校」です。
ここは私立の仏教系学校で、授業の一環として「座禅」が行われるなど、少し独特な校風だったようですね。
驚くべきは、その通学時間です。
なんと自宅から学校まで、片道2時間半もかけて通っていたそうなんですよ。
往復で5時間近くを通学に費やすなんて、想像しただけで気が遠くなりますよね。
前述の通り、お母様からの「高校だけは出てほしい」という強い願いを受けて進学した私立高校。
決して裕福とは言えない家計の中で、安くない学費を払い、遠方の学校へ送り出してくれたご両親の愛情が、このエピソードからも伝わってきます。



次は、そんな高校時代に名倉さんが経験した、驚きのモテエピソードについて見ていきましょう。
近隣女子校から追っかけ?俳優志望だった高校時代
今の名倉さんからは意外に思われるかもしれませんが、高校時代はとにかくモテていたそうです。
なんと、近所にある女子校の生徒たちが「追っかけ」をするほどの人気ぶりだったとか。
当時の名倉さんはお笑い芸人ではなく「俳優」志望で、ご自身も二枚目路線を意識していたのかもしれませんね。
実際、高校卒業後の1986年には、俳優を目指して上京し、芸能活動をスタートさせています。
「顔がタイ人」といじられる現在とは違い、学生時代はクールな魅力で周囲の女子たちを虜にしていたのでしょう。



今のツッコミの才能に加え、若い頃はアイドル並みの人気もあったなんて、名倉さんの人生は本当にドラマチックですよね。
名倉潤の実家は姫路の一般家庭!家族の絆と生い立ちまとめ
名倉潤さんの実家は兵庫県姫路市にあり、ご本人が語る「貧乏エピソード」からもわかるように、決して裕福とは言えない環境だったようですね。
しかし、ご両親や兄弟、そして妻である渡辺満里奈さんの深い愛情に支えられ、温かい家庭で育ってきたことがわかります。
この記事のポイントをまとめます。
- 実家は姫路市大津区周辺で生活は苦しかった
- 玄関ドアに広告を貼りアルミで補修していた
- 4人兄弟の末っ子で兄たちとは年が離れている
- 顔立ちはタイ風だが国籍は純日本人
- 長兄は中目黒でステーキ店を経営していた
- 妻の渡辺満里奈とは強い絆で結ばれている
- 高校時代は俳優志望で女子校からモテていた
困難な子供時代も笑いに変える名倉潤さんの強さは、家族との絆があってこそなのかもしれませんね。
休養を乗り越え、元気な姿で活躍する名倉さん。



これからも持ち前のリーダーシップと鋭いツッコミで、お茶の間に笑顔を届けてくれるのが楽しみです。
同じくネプチューンで活躍している、原田泰造さんと堀内健さんの実家についてもまとめましたので、合わせてご覧ください。














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