博多大吉の実家は古賀市!テレビ好きで働かない父と、パートで支えた母

NHK「あさイチ」のキャスターや、M-1グランプリの審査員としておなじみの博多大吉さん。
芸人仲間からは「大吉先生」と呼ばれる、落ち着いたたたずまいが魅力です。
博多大吉さんの実家は、福岡県古賀市です。神戸市で生まれ、2歳から古賀で育ちました。父はほとんど働かず、母がパートで家族を支える、決して楽ではない暮らしでした。
大吉さんは、子どものころの生活費の借金を、大人になってから自分で返し続けたことも明かしています。
両親がどこでどう出会ったのかは、「墓まで持って行く」と、最後まで教えてもらえなかったそうです。
今回は、大吉さんの実家と家族について、古賀市の公式サイト、デイリースポーツ、ORICON NEWS、Smart FLASH、お笑いナタリーなどで本人が語った言葉をもとに、徹底的に調査しました。
ゆかりいつも穏やかな大吉さんですが、子ども時代は想像以上に苦労されていたんです。それでも、どこか笑いに変えて話すところが大吉さんらしいんですよ。
- 博多大吉さんのプロフィールと本名
- 実家がある福岡県古賀市と、神戸生まれの理由
- テレビ好きでほとんど働かなかった父
- パートで家族を支えた母と、最期の決断
- 両親の「なれそめ」が謎のままの理由
- 借金と休業を乗り越えた下積み時代と、結婚
| 名前 | 博多大吉(はかた だいきち) |
| 本名 | 吉岡廣憲(よしおか ひろのり) |
| 生年月日 | 1971年3月10日 |
| 出身地 | 兵庫県神戸市生まれ、福岡県古賀市育ち |
| 実家 | 福岡県古賀市 |
| 家族 | 父(他界)、母、姉 |
| 母校 | 古賀中学校(バスケットボール部) |
| 趣味 | プロレス、ゲーム |
| 配偶者 | 2007年に一般女性と結婚 |
博多大吉のプロフィール
まずは、大吉さんのプロフィールから見ていきましょう。



「大吉先生」というニックネームがぴったりの、物知りな芸人さんです。
1971年生まれ、本名は吉岡廣憲
お笑いナタリーによると、大吉さんは1971年3月10日生まれ、福岡県の出身です。
本名は、吉岡廣憲(よしおか ひろのり)さんです。
ナリナリドットコムによると、2018年12月の「あさイチ」で本名が紹介されたときには、「カタイ……」「難しい」と反響が集まりました。
芸名の「博多」は、相方の華丸さんと一緒に、2004年に名乗り始めたものです。
それまでは「亀屋大吉」という名前で、相方は「鶴屋華丸」でした。
趣味はプロレスとゲーム
お笑いナタリーのプロフィールによると、大吉さんの趣味はプロレスとゲームです。
ORICON NEWSのインタビューでは、売れる前は福岡のローカル番組の司会や、年間100件以上の営業でトークを磨いてきたと話しています。
最初の仕事は、華丸さんが司会をする番組のフロアディレクターだったそうです。
「誰よりもフロアディレクターの顔色はうかがうようになりましたね(笑)」という言葉に、大吉さんの気配り上手な一面が表れていますよね。
「焼却炉の魔術師」で一躍有名に
大吉さんの名前が全国に広まったきっかけは、2008年の「アメトーーク!」(テレビ朝日系)でした。
お笑いナタリーによると、企画「中学の時イケてないグループに属していた芸人」に出演したことで知名度が上がり、大吉さんが放ったフレーズ「焼却炉の魔術師」は「アメトーーク流行語大賞」を獲得しました。
ORICON NEWSによると、中学時代、焼却炉当番として“燃やせないものはない”ことからついたあだ名だったそうです。
中学ではバスケットボール部に入っていましたが、強豪のバスケ部の中では場違いな存在だった、というのが大吉さんの話です。
この中学時代の舞台こそが、実家のある古賀市なんです。



「焼却炉の魔術師」という言葉のセンス、何度聞いても笑っちゃいます。次は、その舞台になった古賀市について見ていきますね。
実家は福岡県古賀市
大吉さんが育ったのは、福岡県の古賀市です。



古賀市の市長さんが、なんと大吉さんの中学時代の先輩だったんです。
神戸で生まれ、2歳から古賀へ
大吉さんが生まれたのは、兵庫県の神戸市です。
古賀市の公式サイトによると、大吉さんは「生まれは神戸ですが、2歳からは古賀市で生活していたので、古賀の記憶しかありません。古賀の人と思ってください」と話しています。
Smart FLASHによると、お姉さんも神戸生まれだそうです。
なぜ神戸で生まれたのかは、このあとご紹介する、両親の「なれそめ」の謎とつながっています。
古賀市は、福岡市と北九州市の間の街
古賀市は、福岡県の北部、福岡市と北九州市の間にある街です。
玄界灘に面していて、海と緑に囲まれています。
古賀市の公式サイトによると、JR古賀駅から博多駅までは快速で20分ほどで、福岡市のベッドタウンとしても人気があります。
大吉さんが中学時代を過ごしたのは、この街でした。
なお、実家の詳しい場所は公表されていません。
中学のバスケ部の先輩が、古賀市長に
2012年5月1日、大吉さんは「古賀市ふるさと大使」に就任しました。
古賀市の公式サイトに残る市長室ブログには、当時の市長が、大吉さんとの意外な縁をつづっています。
市長は、古賀中学校のバスケットボール部で3年生だったとき、1年生として入部してきたのが大吉さんだったそうです。
「当時はバスケットコートの片隅で、いつもニコニコかわいらしい笑顔を振りまいている大吉さんがとても印象に残っています」と振り返っていました。
委嘱式には、相方の華丸さんも駆けつけています。
大吉さんは「これからは華丸の知恵も借りて、テレビなどでもどんどん古賀を盛り上げていきたい」と意気込んでいました。
華丸も覚えている、大吉の実家の電話番号
大吉さんの実家と、相方の華丸さんとの距離の近さが分かるエピソードもあります。
WEBザテレビジョンによると、2018年9月の「あさイチ」で、華丸さんは「私、大吉さんの実家の番号は知ってる、覚えてる」とひと言。
大吉さんも「私も。実家はわかる」と返し、視聴者から「仲良すぎか(笑)!」という声が上がりました。
相方の華丸さんの実家や、ご先祖さまが演じていた「博多にわか」の話については、こちらの記事で詳しくまとめています。



中学のバスケ部の先輩が市長になって、ふるさと大使をお願いするなんて、素敵なご縁ですよね。続いては、大吉さんのお父さんのお話です。
テレビ好きで、ほとんど働かなかった父
ここからは、大吉さんのお父さんについて見ていきます。
本人が何度もテレビやラジオで語っている、少し破天荒なお父さんです。



大吉さんは、お父さんのことを笑いを交えて話しているんですが、子ども時代は大変だったと思います。
一番長く続いた仕事は、トラックドライバー
Smart FLASHによると、大吉さんは2017年10月放送の「サワコの朝」(TBS系)で、お父さんについて語っています。
「親父はほとんど働かなかったんですよ。一番長くやっていたのはトラックドライバー。でも、すぐケンカしてイヤになってやめて」
お父さんは福岡県の出身です。
大吉さんは、お酒を飲むお父さんのことが嫌いだった、とも話しています。
決定的だったのは、ロサンゼルス五輪
お父さんが働かなくなった「決定的」な出来事が、1984年のロサンゼルスオリンピックでした。
お父さんはまったく仕事に行かず、朝から晩までずっとテレビでオリンピックを観ていたそうです。
開会式から閉会式まで全部観て、そのまま日雇いの仕事にも行かなくなってしまったといいます。
大吉さんが中学生のころの出来事です。
デイリースポーツによると、大吉さんは2015年の「ノンストップ!」(フジテレビ系)で、お父さんのことを「ニートの先駆け。テレビが好きで好きで働くのを辞めちゃって」と表現していました。
若いころは「高倉健似」の男前
一方で、大吉さんはラジオで「父親はめちゃくちゃ男前だった」とも話しています。
Smart FLASHによると、お父さんの若いころの写真は高倉健さんに似ていて、肉体労働をしていたので体格にも恵まれていたそうです。
写真を見た大吉さんは、「こいつは働かんわ」と、思わず納得してしまったといいます。
お父さんは、すでに亡くなっています。
子ども時代の借金を、大人になって返し続けた
お父さんが働かなかった影響は、大吉さんが大人になってからも続きました。
デイリースポーツによると、お母さんがパートで子どもたちを育ててくれたものの、大人になってから、生活費で借金があったことが分かったそうです。
返したのは誰かと聞かれた大吉さんは、「僕です」とはっきり答えています。
形の上では、きょうだいで返したことになっていますが、実際は大吉さんが「ちょっとずつしか返せないから、いつまでもなくならないんです。長かったです」と振り返っていました。



「ニートの先駆け」という言い方に、思わず笑ってしまいました。でも、その借金を黙って返し続けた大吉さん、本当に立派です。次は、家族を支えたお母さんのお話です。
パートで家族を支えた母と、最期の決断
大吉さんのお母さんは、福島県の出身です。



2026年10月、大吉さんは「あさイチ」で、お母さんの闘病について初めて語りました。
パートで、大吉さんと姉を育てた
お父さんがほとんど働かなかったため、家計を支えたのはお母さんでした。
デイリースポーツによると、お母さんはパートをしながら、大吉さんたちを育ててくれたそうです。
大吉さんには、お姉さんがいます。
お母さんは、ふるさとの福島から遠く離れた福岡で、子どもたちを育て上げたんですね。
大学をやめると言ったら、まさかの賛成
大吉さんは、1989年に福岡大学に入学し、落語研究会で華丸さんと出会いました。
しかし、芸人を目指して、大学はやめることになります。
Smart FLASHによると、大学をやめると親に相談したところ、「親はまさかの賛成やったんですよ。なぜなら、学費が払えないから(笑)」だったそうです。
「え?いつ辞めんの?」という反応だったそうで、大吉さんは、正確には県立高校卒で終わり、と笑って話していました。
母は国指定の難病だった
2026年10月28日の「あさイチ」(NHK総合)では、高齢の親や家族の「病院治療」の終い方が特集されました。
デイリースポーツとORICON NEWSによると、大吉さんはこの日、「そもそもが、母が国指定の難病で治療法がないと言われたんです」と明かしています。
医師からは「後は見守るだけ」と言われ、どんどん衰弱していく中で、かける言葉が見つからず、「ゆっくりしててね、お金の心配はしなくていいから」としか言えなかったそうです。
「寝たら楽しい夢しか見ないから」
ある日、お母さんは「もう寝たくない」と言いました。
理由を聞くと、「寝たら楽しい夢しか見ないから」という答えだったそうです。
元気なころの自分を夢で見るほど、目が覚めて体が動かない現実がつらすぎる、ということでした。
大吉さんは、「それがもうずっと心に残っていて」と話しています。
姉と相談して決めた、胃ろうのこと
お母さんの意識がなくなったとき、大吉さんは医師から、胃ろうを選ぶかどうかを聞かれました。
大吉さんは「もうそこまでやらなくてもいいかなと、姉と相談して」決めたそうです。
「あの言葉があったから決められましたけど、正しかったかどうかはひょっとしたら、奇跡があったかもしれないし」と、今も答えの出ない思いを語っていました。
同じように親の治療の選択に向き合う人にとって、大吉さんの言葉は、そっと寄り添ってくれるものだったのではないでしょうか。



「寝たら楽しい夢しか見ないから」というお母さんの言葉、胸がぎゅっとなりました。大吉さんが正直に話してくれたことに、救われた人も多いと思います。
墓まで持って行った、両親のなれそめ
大吉さんがずっと知りたがっているのが、両親の出会いです。



この話は、ちょっと切なくて、でもどこかほっこりするんです。
父は福岡、母は福島、出会いは東京
Smart FLASHによると、大吉さんは2019年9月11日放送の「たまむすび」(TBSラジオ)で、「うちの両親は出会ったきっかけを『墓まで持って行く』と絶対に教えてくれない」と話しました。
お父さんは福岡、お母さんは福島の出身で、出会った場所だけは「東京」と教えてくれたそうです。
それなのに、大吉さんとお姉さんが生まれたのは神戸です。
物心ついたころから気になって仕方なかったそうですが、お父さんは晩年「墓まで持って行く」と口を閉ざし、そのまま亡くなりました。
母も「私も言わない」
残るはお母さんです。
お父さんが亡くなったあと、大吉さんは「さすがに口を割るかな」と期待しましたが、お母さんは「お父さんが(墓まで)持って行った以上、私も言わない」と宣言したそうです。
大吉さんは、お母さんがお父さんに相当惚れ込んでいたのでは、と想像しています。
ほとんど働かなかったお父さんでも、お母さんにとっては、最後まで大切な人だったのかもしれませんね。
「ファミリーヒストリー」の出演依頼は断った
Smart FLASHによると、大吉さんには、NHKの「ファミリーヒストリー」から出演のオファーがあったそうです。
しかし、「母親が生きているのに、それをやるとちょっとかわいそう過ぎる」という理由で断りました。
番組に出れば、両親のなれそめが明らかになってしまうかもしれない。
お母さんの「言わない」という気持ちを尊重した、大吉さんらしい優しい判断ですよね。



両親が最後まで守った秘密を、息子として無理に暴かない。大吉さんの優しさが伝わってきて、じんわりしました。最後に、大吉さんの下積み時代と結婚を見ていきましょう。
借金と休業を越えて、結婚へ
大吉さん自身も、売れるまでには長い苦労がありました。



その苦しい時期を支えてくれた人が、のちの奥さんなんです。
福岡吉本は「カードローンをやって一人前」
大吉さんと華丸さんは、1990年に福岡吉本の1期生としてデビューしました。
デイリースポーツによると、当時の福岡吉本はアルバイトが禁止されていたそうです。
大吉さんは、ライブのあとに後輩を集めて食事をおごるときも「借金して」払っていたと明かしています。
「福岡吉本はカードローンをやって一人前。いっとき、福岡吉本所属芸人の総借金額計算したら4300万(円)」と話し、共演者をざわつかせました。
「アメリカ留学」と発表して1年休業
1997年には、大吉さんが突然、1年間休業したこともありました。
デイリースポーツによると、大吉さんは事務所に連絡しないまま、レギュラー番組の生放送中に「アメリカに留学します」と発表しました。
休業中は、ワンルームの部屋に隠れるように暮らし、最後のほうは深夜のレンタルビデオ店でアルバイトをしていたそうです。
記事では、休業中は「妻の稼ぎでなんとか食べていた」と紹介されています。
復帰前には、少ない予算で2か月行ける海外としてインドに渡り、「日焼けした肌」を留学の証拠にしたというオチもついています。
2007年、長く支えてくれた女性と結婚
2007年11月、大吉さんは結婚を発表しました。
ORICON NEWSによると、お相手は宮崎県出身の一般女性で、12年前に知人の紹介で知り合いました。
2005年に華丸・大吉が東京へ進出したときも彼女が支えになり、大吉さんは結婚を意識するようになったそうです。
大吉さんはブログで、「付き合いが長かったせいか、何も変わらず実感がわかないというのが正直なところです」とつづっていました。
相方の華丸さんは、「結婚は当然です。遅いくらいです」と祝福しています。
奥さんは一般の方で、名前などは公表されていません。
M-1審査員として、「先生」と呼ばれる存在に
苦しい時代を越えて、大吉さんは今、お笑い界になくてはならない存在になりました。
お笑いナタリーによると、2014年には「THE MANZAI」で優勝し、2018年には「あさイチ」のキャスターに就任しました。
M-1グランプリでは審査員も務めていて、2025年の大会を振り返ったポッドキャストも公開されています。
2024年2月には、地元・福岡のPayPayドームで、結成33周年記念イベント「華大どんたく」を開きました。



何も言わずにそばにいてくれた人と、長い時間をかけて家族になったんですね。大吉さんの穏やかさの理由が、少し分かった気がします。
博多大吉の実家のまとめ
最後に、大吉さんの実家と家族について、この記事で分かったことをまとめます。
大吉さんの実家は福岡県古賀市で、神戸で生まれ、2歳から古賀で育ちました。
ほとんど働かなかったお父さんと、パートで家族を支えたお母さん、そしてお姉さんのいる家庭でした。
この記事のポイントをまとめます。
- 本名は吉岡廣憲、1971年3月10日生まれ
- 神戸市生まれ、2歳から福岡県古賀市で育つ
- 古賀中学校のバスケ部の先輩が、のちの古賀市長
- 2012年から「古賀市ふるさと大使」
- 父は福岡出身、ほとんど働かず「ニートの先駆け」
- 母は福島出身、パートで大吉さんと姉を育てた
- 子ども時代の生活費の借金を、大人になって返し続けた
- 両親のなれそめは「墓まで持って行く」と謎のまま
- 母は国指定の難病、治療の選択は姉と相談して決断
- 2007年、12年交際した宮崎県出身の女性と結婚
大変な子ども時代も、借金や休業も、今では笑いを交えて語ってくれる大吉さん。
その言葉の一つひとつに、家族への思いがにじんでいます。



苦労をユーモアに変えてきた大吉さん。これからも、朝のテレビやM-1の審査員席で活躍する姿を、一緒に応援していきましょう!
参考:
- 博多華丸・大吉のプロフィール|お笑いナタリー
- 博多大吉さんに「古賀市ふるさと大使」へ就任いただきました|古賀市オフィシャルページ
- 博多大吉の本名に反響「カタイ……」「難しい」|ナリナリドットコム
- 博多大吉、脚光を浴びるのは苦手!?|ORICON NEWS
- 博多大吉がどうしても知りたい「両親のなれそめ」謎のまま|Smart FLASH
- 博多大吉 借金地獄の過去明かす|デイリースポーツ
- 博多華丸・大吉「大学をやめると親に相談したら」違いが鮮明|Smart FLASH
- 大吉、母が国指定の難病だった|デイリースポーツ
- 博多大吉、母親が“国指定の難病”だったと告白|ORICON NEWS
- 博多華丸・大吉に視聴者「仲良すぎか(笑)!」お互いの“実家”電話番号を暗記|WEBザテレビジョン
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