めぞん吉野おいなり君の学歴!大学は行かず出身高校は定時制?妄想妹が生まれた学生時代

板橋ハウスや独特な世界観のネタで、人気急上昇中のめぞん・吉野おいなり君。
「M-1 2025」決勝進出でも話題ですが、一体どんな学歴の持ち主なのか気になりますよね。
実は彼は定時制高校の出身で、大学へは行かずにお笑いの道へ進んでいるんです。
なんでも、代名詞である妄想妹が生まれたのも、学生時代の孤独がきっかけだったとか。
ゆかりこの記事を読めば、吉野さんの天才的な感性が育まれたルーツが分かりますよ。


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・地元まとめ
実家が太いのは誰?親の職業は? 今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・家族」を徹底調査しました! ぜひチェックしてみてくださいね。


めぞん吉野おいなり君の学歴まとめ
めぞん・吉野おいなり君の学歴は、以下の通りです。
- 出身小学校:北九州市内の公立小学校(校名不明)
- 出身中学校:北九州市立思永中学校
- 出身高校:福岡県内の定時制高校(校名不明)
- 出身大学:進学せず
- 出身養成所:吉本総合芸能学院(NSC)東京校22期
吉野さんは福岡県北九州市で生まれ育ち、地元の公立小中学校に通っていました。
特徴的なのは、高校が定時制であったこと、そして大学には進学せずに芸人の道へ進んだことですね。
一見すると少し変わった経歴に見えるかもしれませんが、この学生時代こそが、現在の吉野さんのユニークなキャラクターや「妄想」のルーツになっているんです。
それでは、幼少期から順に詳しくエピソードを掘り下げていきましょう。



まずは、謎に包まれた小学校時代からです!
めぞん吉野おいなり君の出身小学校は北九州市内の学校
北九州市出身で鍵っ子だった幼少期
吉野おいなり君の出身小学校は公表されていませんが、地元の北九州市内の学校に通っていた可能性が高いです。
具体的な校名までは特定できませんでしたが、出身地が北九州市であることは本人が公言しています。
吉野さんは一人っ子として育ち、共働きのお母様のもとで「鍵っ子」として幼少期を過ごしました。
学校から帰っても家には誰もいない、という環境が当たり前だったようですね。
この「ひとりの時間」が多かったことが、後の吉野さんの豊かな想像力(妄想力)を育む土台になったのかもしれません。



では、そんな放課後をどのように過ごしていたのでしょうか?
兄妹への憧れとアニメに没頭した放課後
一人の時間はケーブルテレビのアニメに没頭し、兄妹への憧れを募らせていました。
お母様が仕事で不在の間、吉野さんの寂しさを埋めてくれたのはアニメの世界だったんです。
インタビューでも「母親働き鍵っ子ひとりっ子」として育ち、ケーブルテレビにかじりついていたと語っています。
そして、小学校低学年の頃から「兄妹が欲しいなあ」とぼんやり思い始めたそうなんですよね。
この時の満たされない気持ちが、やがて吉野さんの代名詞とも言える「妄想妹」を生み出すきっかけになっていきます。



続いては、その「妄想」が本格化していく中学校時代を見ていきましょう。
めぞん吉野おいなり君の出身中学校は北九州市立思永中学校
小倉駅近くの思永中学校出身!周囲はヤンキーばかり?
吉野さんの出身中学校は、北九州市立思永(しえい)中学校です。
これは本人の発言からも明らかになっており、北九州市の中心部である小倉駅の近くに位置する学校です。
当時の同級生にはいわゆる「ヤンキー」が多く、オタク趣味を持っていた吉野さんは、なかなか話の合う友達が見つからなかったそうなんですよね。
アニメやネットの話を共有できる相手がいないという環境は、多感な時期には辛いものがあったはずです。
周囲とのギャップに悩みながら、吉野さんは次第に自分の内側の世界へと居場所を求めるようになっていきます。



そこで生まれたのが、伝説の「妄想妹」でした。
「妄想妹」誕生!孤独を埋めるための脳内設定
中学2年生の頃、ついに脳内で「架空の妹」を作り出すことに成功しました。
「兄妹が欲しい」という願望がピークに達した吉野さんは、自分の中でトーナメントを行い、「妹」が優勝したことで設定が固まりました。
アニメ『ケロロ軍曹』から名前を借りるなどして、具体的なキャラクターを作り上げていったんです。
また、好きだった女子生徒をこっそり脳内で「いとこ」という設定にして楽しむなど、妄想力はこの頃から爆発していました。
お母様に「妹を作ってくれ」と頼んで「黙りなさい」と一蹴されたエピソードも、今となっては笑い話ですね。
最初にしたのは、母親に頼むこと。簡単だし当たり前というか、原点回帰。もちろん答えはノー。至極真っ当な回答が返ってきた。「黙りなさい」。そんなキツくはなかったかもしれないけど、ノーだったこと以外は覚えてない。だけど、「黙りなさい」ぐらいの圧力を感じた。
お母さんにも人生がある。俺の妹を作るために生きてはいない。
引用元:クイック・ジャパンweb



妄想だけでなく、インターネットの世界も彼の逃げ場所となっていました。
ネットとゲームに逃避した中学時代のエピソード
学校での孤独を埋めるため、インターネット掲示板やオンラインゲームに没頭していました。
特に「2ちゃんねる」や、人気オンラインゲーム「メイプルストーリー」に夢中になり、勉強はほとんど手につかなかったといいます。
リアルな学校生活では趣味を共有できる友人がいなかったため、ネットの世界が唯一の安らぎだったのでしょう。
この時の「ネットへの没入体験」が、後の「板橋ハウス」などのYouTube活動やSNSでの発信力にも繋がっているのかもしれません。



次は、そんな吉野さんが進学した高校時代について見ていきましょう。
めぞん吉野おいなり君の出身高校は福岡県内の定時制高校
公立高校受験に失敗し定時制へ進学した理由
唯一受験した公立高校に落ちてしまい、福岡県内の定時制高校に進学しました。
具体的な高校名は公表されていませんが、本人のSNSでの発言などから、定時制課程のある高校を卒業していることは間違いありません。
吉野さんは「定時制高校卒なので胸を張って高卒とも言い難い」と自虐的に語ることもありますが、しっかりと高校を卒業されています。
受験の失敗という挫折からのスタートだったため、高校生活の始まりは少しほろ苦いものだったのかもしれませんね。



そんな高校生活でも、人間関係の悩みは続いていたようです。
趣味が合う友人が不在で「しんどい」と感じた高校生活
高校時代も趣味を共有できる友人に恵まれず、「しんどい」と感じることが多かったようです。
中学時代同様、周りにはアニメやゲームの話で盛り上がれる仲間がいなかったそうなんですよね。
定時制高校という環境もあり、生徒の年齢層やバックグラウンドも様々で、気の合う友人を見つけるのは難しかったのかもしれません。
しかし、リアルの友人が少ない分、吉野さんは創作活動へと情熱を注ぐことになります。



ここで、現在のコラム執筆にも通じる意外な過去が明らかになります。
ハンドルネーム「威蘇迅」で小説執筆に没頭
中高生時代、「威蘇迅(いそじん)」というハンドルネームで小説を執筆していました。
「威蘇迅(いそじん)」っていう名前でネット上に生息してたんですけど、それをラジオで話したら、ファンの人が見つけて。
引用元:クイック・ジャパンweb
当時流行していた「なろう系小説」を自分で書き、ネット上で公開していたというから驚きですよね。
「威蘇迅」という名前の由来はおそらくうがい薬でしょうが、漢字の当て字に当時の「中二病」的なセンスを感じて微笑ましいです。
この頃に培った文章力や構成力が、現在のQJWebでの連載コラムや、ネタ作りにも活かされているのは間違いありません。



次は、高校卒業後の進路と、芸人としての青春が始まるNSC時代へ進みます。
めぞん吉野おいなり君は大学に進学せずNSC東京校へ
高校卒業後はフリーターを経てNSC22期生に
大学へは進学せず、フリーターとして働いた後にNSC(吉本総合芸能学院)東京校に入学しました。
高校卒業後はすぐにお笑いの世界に入ったわけではなく、一度社会経験を積んでから、自分の夢に向かって歩き出したようですね。
東京NSCには22期生として入学しており、同期にはナイチンゲールダンスや軟水、ピュートといった実力派が名を連ねています。
大学生活を経験していない吉野さんにとって、このNSCでの日々こそが、かけがえのない「青春」となったと語っています。



そしてこのNSCで、運命の相方との出会いが待っていました。
青春はNSCにあった!相方・原一刻との出会い
NSCの授業での挫折をきっかけに、相方の原一刻さんとコンビを結成しました。




入学当初、二人はそれぞれ別のコンビを組んでいましたが、同時期に解散してしまいます。
ある日、授業のネタ見せで即興コンビとしてネタを披露したところ、結果は散々だったそうなんですよね。
しかし、その悔しい結果が逆に二人を結びつけ、帰りに吉野さんから「組もう」と持ちかけ、「めぞん」が誕生しました。
学生時代は友人に恵まれなかった吉野さんが、お笑いを通じて最高のパートナーを見つけた瞬間でした。



最後に、これまでの吉野さんの歩みを経歴としてまとめました。
めぞん吉野おいなり君の経歴|板橋ハウスやM-1決勝へ
最後に、めぞん吉野おいなり君のこれまでの歩みを時系列でまとめました。
北九州での孤独な少年時代から、板橋ハウスでのブレイク、そして漫才師としての栄光まで、まさに「事実は小説(妄想)より奇なり」な人生を歩まれています。
| 年 / 時期 | 出来事・トピックス |
| 1994年2月3日 | 福岡県北九州市にて誕生(本名:吉野裕介) |
| 14歳頃 | 孤独を埋めるため脳内で「架空の妹(ゆうか、ゆめ、うた)」を作り始める |
| 高校時代 | 公立高校受験に失敗し、定時制高校へ進学。「威蘇迅」名義で小説を執筆 |
| 高校卒業後 | 大学へは進学せずフリーター生活を送る |
| 時期不詳 | NSC東京校に22期生として入学 |
| 2016年6月9日 | 原一刻とお笑いコンビ「めぞん」を結成 |
| 2020年10月 | ルームシェア生活を配信する「板橋ハウス」のメンバーとして活動開始 |
| 2023年 | QJWebにてコラム「吉野おいなり君の妄想日記」連載開始 |
| 2024年11月 | 『マイナビ Laughter Night 第10回チャンピオンLIVE』にてマイナビ賞を受賞 |
| 2025年6月 | 「ツギクル芸人グランプリ2025」決勝進出 |
| 2025年12月 | M-1グランプリ2025にて初の決勝進出を果たす |
こうして見ると、学生時代の「妄想」や「執筆活動」が、今の芸人活動の根幹を支えていることがよく分かりますね。
苦しい時期を自らの想像力で乗り越えてきた吉野さんだからこそ、多くの人の心を掴む表現ができるのかもしれません。



「M-1 2025」決勝での活躍を期待しましょう!


【M-1 2025】決勝・準決勝進出者の実家・地元まとめ
実家が太いのは誰?親の職業は? 今年の決勝・準決勝進出者たちの「意外なルーツ」と「実家・家族」を徹底調査しました! ぜひチェックしてみてくださいね。










コメント