千鳥のメンバーは笠岡商業の同級生!大悟の誘いで結成、東京で売れるまで

「クセがすごい!」のツッコミと、岡山弁の漫才でおなじみのお笑いコンビ・千鳥。
2026年には、大悟さんが是枝裕和監督の映画でカンヌ国際映画祭のレッドカーペットを歩き、大きな話題になりました。
千鳥は、岡山県立笠岡商業高校の同級生だった大悟さんとノブさんのコンビです。先に大阪へ出ていた大悟さんが、会社員だったノブさんを誘って、2000年に結成しました。
ところが、ノブさんが会社を辞めて大阪に出てみると、大悟さんは「ひとつも売れていなかった」そうです。
M-1グランプリ初の決勝は最下位、東京進出後はレギュラー番組がすぐに終わり、ノブさんは「ノブ小池」に改名したこともありました。
今回は、千鳥の2人の出会いから結成秘話、売れるまでの回り道、そして今の活躍までを、朝日新聞、お笑いナタリー、ORICON NEWS、デイリースポーツ、ニッポン放送、共同通信などの記事をもとに徹底的に調査しました。
ゆかり今や冠番組がずらりと並ぶ千鳥ですが、売れるまでの道のりは本当に遠回りだったんです。2人の関係の温かさにも、ぜひ注目してみてくださいね。
- 千鳥のメンバー、大悟さんとノブさんのプロフィール
- 笠岡商業での出会いと、最初のツッコミ
- 大悟さんの「甘い言葉」から始まった結成秘話
- 大阪の下積み時代と、盟友・笑い飯との共同生活
- M-1グランプリとTHE MANZAIの戦績
- 東京進出の苦戦、「ノブ小池」への改名とブレイクのきっかけ
- 冠番組、カンヌ、単独ライブなど今の千鳥
| コンビ名 | 千鳥(ちどり) |
| メンバー | 大悟(ボケ)、ノブ(ツッコミ) |
| 結成 | 2000年7月 |
| 所属 | 吉本興業 |
| 出身 | 2人とも岡山県 |
| 出会い | 岡山県立笠岡商業高等学校の同級生 |
| 主な戦績 | M-1グランプリ決勝4回(2003・2004・2005・2007年)、THE MANZAI 2011年3位・2012年2位・2013年2位 |
| 主な受賞 | 第48回上方漫才大賞 大賞(2013年) |
| 主な冠番組 | いろはに千鳥、テレビ千鳥、相席食堂、千鳥の鬼レンチャン など |
千鳥のメンバーは大悟とノブ
まずは、千鳥の2人のプロフィールから見ていきましょう。
2人とも岡山県の出身で、学年も同じです。



島育ちの大悟さんと、井原市育ちのノブさん。同じ岡山でも、育った環境はかなり違うんです。
ボケの大悟は北木島出身
ボケ担当の大悟さんは、1980年3月25日生まれ、岡山県の出身です。
デイリースポーツによると、大悟さんは2025年4月の「酒のツマミになる話」(フジテレビ系)で、「ワシ、『山本大悟』って言うんですよ」と本名を明かしています。
「山」「本」「大」までは左右対称で書きやすいのに、最後の「悟」で一気に難しくなる、とぼやいてスタジオを笑わせていました。
生まれ育ったのは、笠岡市の沖に浮かぶ北木島です。
お笑いナタリーのプロフィールでは、趣味は素潜り、お酒、競艇で、特技には素潜り、野球の送球フォーム、そして「たこ焼きを美味しく焼く」が並んでいます。
このたこ焼きの特技には、下積み時代のちゃんとした理由があるので、あとで詳しくご紹介しますね。
大悟さんの実家がある北木島や、父の船で無人島に置いていかれた夏休みの話については、こちらの記事で詳しくまとめています。


ツッコミのノブは井原市出身
ツッコミ担当のノブさんは、1979年12月30日生まれ、岡山県の出身です。
大悟さんより3か月ほど早く生まれていますが、学年は同じです。
お笑いナタリーによると、本名は早川信行さんです。
実家は、岡山県の井原市にあります。
2019年4月には、NHK総合の「ファミリーヒストリー」でノブさんの家族の歴史が取り上げられ、実家の前に立つ樹齢450年のカヤの木が、早川家のご神木として紹介されました。
趣味はドラム、お酒、競馬、映画鑑賞、音楽鑑賞で、特技には競馬を挙げています。
3兄弟の末っ子として育った子ども時代や、芸人になるときに両親から受けた「3つの戒め」については、こちらの記事で詳しくまとめています。


映画の好みまで正反対の2人
朝日新聞のインタビューで、2人は互いの「ずっと変わらないところがいい」と話しています。
大悟さんの好きな映画は、10代のころから「仁義なき戦い」です。
ノブさんは「全然ぶれない。もう何巡目なん?ってくらい見ている」と笑い、「僕と正反対なところが面白い」と話しています。
一方のノブさんは「ど真ん中、はやるものが好き」で、お気に入りは映画「アルマゲドン」です。
大悟さんは、芸人ならセンスがあると思われたいはずなのに、ノブさんは今も堂々と「アルマゲドン」と言う、と笑っていました。
渋い大悟さんと、王道好きのノブさん。
この正反対ぶりが、そのまま千鳥の漫才のバランスになっているのかもしれませんね。



好きな映画を聞いただけで、2人のキャラクターがはっきり分かるのが面白いですよね。次は、そんな2人がどうやって出会ったのかを見ていきます。
笠岡商業で出会った2人
千鳥の2人が出会ったのは、岡山県立笠岡商業高等学校です。



2人の出会いのきっかけは、なんと体育の授業でのひと言だったんです。
最初のツッコミは「ドミニカ出身か!」
朝日新聞によると、2人が仲良くなったきっかけは、学校のソフトボール大会でした。
大悟さんがふざけてバットを振り回していると、レフトのほうから「ドミニカ出身か!」という声が飛んできたそうです。
大悟さんは「おもろいやつがいるな、と思ったのがノブでした」と振り返っています。
野球の強豪国・ドミニカの強打者に見立てた、高校生らしい一言ですよね。
この「初ツッコミ」は、2026年に約20年ぶりに母校を訪れた凱旋ロケでも再現されました。
千鳥の歴史は、ノブさんのツッコミから始まっていたんです。
2年生で同じクラスに、授業中はメモで大喜利
2年生で同じクラスになると、2人の距離は一気に縮まりました。
朝日新聞によると、2人は「ダウンタウン」の話で盛り上がり、授業中には「新しいナイキのマークは?」といったお題でメモを回し、大喜利をして遊んでいたそうです。
すでに高校のころから、お題を出し合って笑い合う関係だったんですね。
のちに売れっ子になってからも、千鳥の番組には大喜利のような企画がたくさんあります。
その原点は、教室で回していた小さなメモだったのかもしれません。
第一印象は「うっすら嫌ってた」と「ダサい」
一方で、お互いの第一印象は、あまり良くなかったようです。
2024年1月、レイクの新CMのメイキングインタビューで、2人は高校時代の思い出を語りました。
大悟さんは、ノブさんの第一印象を「高校1年生の時に会った時から、高3のマドンナ的な女の子と付き合ってた。皆がうっすら嫌っていた」と明かしています。
ノブさんは「その時はモテたんですよ~」とまんざらでもない様子でした。
そのノブさんは、大悟さんの高校時代の私服を見て「こんなダサい人間がいるんだ…」と思ったそうです。
コンビ名は、入りたかった隣の高校から
コンビ名の「千鳥」も、この高校時代に由来しています。
ORICON NEWSによると、笠岡商業の隣にある笠岡高校は通称「千鳥」と呼ばれていて、頭も良くてスポーツもできる学校でした。
2人は、その笠岡高校に憧れて「千鳥」と名付けたと明かしています。
憧れの学校の名前を背負って、20年以上漫才を続けているのは、なんだか胸が熱くなりますよね。



第一印象はお互いイマイチだったのに、一緒にメモで大喜利をする仲になるなんて、青春ですよね。続いては、いよいよコンビ結成のお話です。
結成のきっかけは、大悟の「甘い言葉」
高校を卒業すると、2人は別々の道に進みました。
そこから千鳥が生まれるまでには、大悟さんのちょっと強引な誘いがありました。



この結成エピソード、ノブさんのぼやきも込みで最高なんです。
先に大阪へ出た大悟、広島で就職したノブ
大悟さんは、高校を卒業すると、芸人を目指して大阪に出ました。
タウンワークマガジンのインタビューによると、大悟さんは小学6年生のころには、もう「吉本に入る」と思っていたそうです。
きっかけは、北木島の神社の夏祭りに来ていた吉本の芸人を見て、「自分あっち側に行きたい!」と思ったことでした。
一方のノブさんは、高校を卒業すると、広島県で就職しました。
ノブさんは「芸人やりたいけどそんなの無理やろなぁと思っていた」と振り返っています。
「一緒に漫才したら売れるだけやで」
そんなノブさんのもとに、大阪の大悟さんから誘いが届きます。
タウンワークマガジンでノブさんが明かした、その時の言葉が「ひとりで大阪のピン芸人として売れたから、俺と一緒に漫才したら売れるだけやで」でした。
朝日新聞によると、ノブさんは1年ほど会社員として働いていて、大悟さんから「漫才、一緒にどう?」と声をかけられたそうです。
こうして2000年、千鳥が生まれました。
ノブさんは、この誘いを「甘い言葉」と表現しています。
大阪に出てみたら「ひとつも売れていなかった」
大悟さんの言葉を信じたノブさんは、会社に辞表を出し、親を説得して大阪へ向かいました。
ところが、大阪に着いてみると、大悟さんは「ひとつも売れていなかった」そうです。
ノブさんは、このエピソードを笑い話として語っています。
それでも2人は、そこからコンビとして漫才を続けていきました。
もし大悟さんの「甘い言葉」がなければ、今の千鳥はいなかったと思うと、不思議な縁を感じますよね。
師匠のような盟友・笑い飯と共同生活
大阪に出たノブさんを、大悟さんは「今一番お世話になってる2人やねん」と、ある2人に紹介しました。
それが、のちにM-1王者となる笑い飯の西田幸治さんと哲夫さんです。
ORICON NEWSによると、ノブさんはその時、大悟さんに「付き合うのやめぇ!この人らは売れん」と言ってしまったそうです。
千鳥と笑い飯は、吉本興業に所属する前のインディーズ時代から一緒にライブに出ていて、4人で共同生活をしながら、毎晩のように大喜利大会をしていました。
そして2組とも、やがて若手の劇場「baseよしもと」のメンバーになっていきます。
千鳥は今も、「笑い飯は師匠みたいなもん」と話しています。
たこ焼き屋とパチンコ屋でアルバイト
もちろん、お笑いだけではまったく食べていけませんでした。
タウンワークマガジンによると、大悟さんが一番長く働いたのは、たこ焼き屋さんです。
大阪に出てすぐに始め、5年くらい働き、後半の3年くらいはお店を任されて、ひとりで仕込みをして焼いていたそうです。
そのお店には、ノブさんや笑い飯の2人もよく来てくれたといいます。
お笑いナタリーのプロフィールにある「たこ焼きを美味しく焼く」という特技は、この時代に身についたものなんですね。
ノブさんは、居酒屋やパチンコ屋で働きました。
パチンコ屋はお金が良く、店長がシフトの融通をきかせてくれたそうですが、負けて苛立ったお客さんに首を殴られたこともあり、その時はすぐ大悟さんに電話して迎えに来てもらったそうです。



「この人らは売れん」と言った相手がM-1王者になるなんて、ノブさん、見る目がなさすぎます…(笑)。次は、千鳥らしい漫才が生まれるまでと、賞レースの戦績を見ていきましょう。
「千鳥語」の誕生と賞レースの戦績
岡山弁と標準語がまじった、あの独特なしゃべり。
実は最初から、今のスタイルだったわけではありません。



賞レースでは、悔しい思いもたくさんしてきた2人なんです。
エセ大阪弁をやめて、岡山弁で勝負
タウンワークマガジンによると、2人は最初、岡山弁で漫才をしようと思っていました。
ところが、大阪では意外と伝わらず、「変な言葉やな」と言われることも多かったそうです。
そこで、大阪に出てから数年は「エセ大阪弁」で漫才をしてみたものの、自分たちもしっくりこず、お客さんにも全然ウケませんでした。
「もうええわ!」と開き直って岡山弁でやり出すと、少しずつ受け入れられるようになったといいます。
朝日新聞は、岡山弁や標準語を交えた今のしゃべりを「千鳥語」と紹介しています。
ノブさんは「岡山に帰ったら『東京かぶれ』と言われるし、東京では『岡山弁、きついなあ』と言われる。何者でもないんです、今は」と笑っています。
M-1初の決勝はトップバッターで最下位
千鳥の名前が一気に広まったのは、2003年のM-1グランプリです。
結成からわずか3年ほどで決勝に進みましたが、出番はトップバッターで、結果は9位でした。
お笑いナタリーの10周年インタビューで、ノブさんは「あの時、こうやって売れていくんかなぁと。チャンスをつかんで売れていくんじゃなぁということを感じました」と振り返っています。
ところが、いざ舞台に立つと、隣からは「はぃどぉーも……」という小さくかすれた声が聞こえてきたそうです。
ノブさんは「それからのことは覚えていません」と、緊張でガチガチだった大悟さんの様子を語っていました。
それでも、この決勝進出で千鳥の知名度は大きく上がり、大阪で人気者になっていきました。
M-1決勝4回、9年連続で準決勝以上
お笑いナタリーの戦績によると、千鳥はM-1グランプリで2003年、2004年、2005年、2007年の4回、決勝に進んでいます。
2002年から2010年までは、毎年準決勝以上に勝ち進みました。
ノブさんはタウンワークマガジンで、「M-1に9年連続で準決勝進出できて、おかげでたくさんの人に名前やネタを知ってもらったというのは、大きいですね」と話しています。
優勝こそ逃しましたが、M-1は千鳥にとって、名前を知ってもらう大切な舞台だったんですね。
ちなみに、デビュー前から一緒にいた盟友の笑い飯は、2010年のM-1で優勝しています。
大悟さんはタウンワークマガジンで、一緒にライブをやっていた笑い飯が先に有名になっていくのは「仲間としてうれしいしすごいなと思うと同時に、焦りを感じる部分も少しあって」と、正直な気持ちを明かしていました。
THE MANZAIは3年連続で決勝
M-1が一度終了したあと、2011年から始まったのが「THE MANZAI」です。
お笑いナタリーによると、千鳥は2011年から3年連続で決勝に出場し、2011年は3位、2012年と2013年は2位でした。
あと一歩で優勝に届かない悔しさを、何度も味わってきたんですね。
それでも、この大会での活躍をきっかけに、全国ネットの番組への出演も増えていきました。
2013年、上方漫才大賞の大賞を受賞
2013年には、関西の漫才師にとって大きな賞である「上方漫才大賞」で、大賞に選ばれました。
お笑いナタリーによると、第48回上方漫才大賞は、大賞が千鳥、奨励賞がテンダラー、新人賞がプリマ旦那でした。
M-1やTHE MANZAIでは優勝できなかった2人ですが、関西の漫才界では、しっかりとトップの評価を受けていたんです。
15年で一度だけのケンカは「300円」
2010年、結成10周年のときのお笑いナタリーの取材では、2人のケンカの話も飛び出しました。
出会ってからの15年間で、ケンカをしたのはたった一度だけ。
原因は、ライブの打ち上げで、タバコを買うという大悟さんにノブさんが貸した300円でした。
返してもらえなかったノブさんが「そういうことはちゃんとせんとおえんじゃろ」と言うと、大悟さんは「細けぇこと言われな」と言い返し、殴り合いになったそうです。
ところが、2人ともケンカに慣れていないので、パンチが当たらなかったといいます。



15年で唯一のケンカが300円で、しかもパンチが当たらないって…! 想像しただけで笑っちゃいました。続いては、東京進出後の苦しい時代を見ていきます。
東京進出と、ブレイクまでの回り道
大阪で人気者になった千鳥ですが、東京ではすぐには売れませんでした。



今の千鳥からは想像できないくらい、苦しい時期があったんです。
2012年、大阪のレギュラーをほぼ降板して上京
現代ビジネスによると、千鳥は大阪で「ロケの達人」と呼ばれ、年間200本ものロケをこなしていました。
それでも2人は、大阪のレギュラー番組をほとんど降板し、2012年に拠点を東京へ移します。
フジテレビの「ピカルの定理」のレギュラーになり、幸先の良いスタートを切りました。
ニッポン放送の記事によると、大悟さんは「勝つしかない」という願掛けで、東京の葛飾区に家を借りたそうです。
ところが、「ピカルの定理」は1年足らずで終わってしまい、2人は一気に活躍の場を失ってしまいました。
「ウケるはずのものがウケない」
2019年、「佐久間宣行のオールナイトニッポン0(ZERO)」に出演した2人は、当時の苦しさを語っています。
大悟さんは「ウケないなあ……」「ウケるはずのものがウケないから、何でだろうと思っていた」と振り返りました。
ノブさんによると、大阪でやっていたギャグを東京で同じようにやっても、全然ウケなかったそうです。
そのうち、「大阪では人気があったようだけど東京では結果が出ないやつ」といういじられ方をされるようになり、仕事がすべてそうなっていきました。
「ノブ小池」への改名と、1年あまりでの再改名
そんな中、2013年11月19日放送の「ロンドンハーツ」(テレビ朝日系)で、ノブさんは芸名を「ノブ小池」に改名しました。
ORICON NEWSによると、関東でのブレイクを期待しての改名でした。
きっかけは、以前に同じ番組で、元ビーチバレー選手の浅尾美和さんが、ノブさんのことを「小池さん」と間違えて呼んだことです。
“名付け親”になった浅尾さんは、「まだお会いしたことのない、ノブさんの名付け親になってしまい」と驚いていました。
しかし、デイリースポーツによると、ノブさんは2015年1月1日、ツイッターで「きょ(う)からノブ小池からノブに戻ります!」と発表します。
理由は「頑張ったのですが小池に馴染むのは無理でした!」でした。
恩人は宮川大輔と「ゴッドタン」
苦しい時期の千鳥を支えたのが、テレビ東京の「ゴッドタン」です。
ノブさんは、「ゴッドタン」だけは自分たちを呼んでくれていたと振り返り、「ゴッドタンは若手の精神安定剤です」と話しています。
もうひとつの大きなきっかけが、日本テレビの「満天☆青空レストラン」でした。
ノブさんによると、出演時に宮川大輔さんが「めちゃくちゃにやってくれ!」と言ってくれたそうです。
そのロケを見た演出の方が、内村光良さんの番組にも関わっていて、そこから千鳥の面白さが広まっていきました。
ノブさんは、宮川さんについて「足を向けて寝られないですね」と感謝しています。
「〜じゃ」のテロップと「クセがすごい」
岡山弁の「〜じゃ」が今のように定着したのも、この頃です。
ノブさんによると、「アメトーーク!」のプロデューサー・加地倫三さんから、「“~じゃ”ってたまに言っているけど、何でもっと言わないの?あれ、めちゃくちゃ面白いよ」と言われたそうです。
それからは、ノブさんが「~じゃ」と言うと、全部テロップにされるようになったといいます。
大悟さんは、本来は自分のしゃべり方に合わせて控えめにするはずだったノブさんが、「ワシを超えてきた」と笑っていました。
現代ビジネスによると、ノブさんの「クセがすごい!」や「ただのノブじゃ~!」といったフレーズも定着していきました。
2013年に出演した「笑神様は突然に…」(日本テレビ系)や、2014年に始まった「いろはに千鳥」(テレビ埼玉)のロケで、2人の面白さが関東にも少しずつ広まっていったといいます。
2018年には、今も続く人気番組「相席食堂」(ABC)がスタートしました。



「小池に馴染むのは無理でした」のひと言、正直すぎて大好きです。こうした回り道の先に、今の千鳥があるんですよね。最後に、今の千鳥の活躍と2人の絆を見ていきましょう。
今の千鳥:冠番組と2人の絆
東京で苦しんだ時代を越えて、千鳥は今、テレビに欠かせないコンビになりました。



番組表で「千鳥」の名前を見ない日はないくらいですよね。
冠番組がずらり
お笑いナタリーによると、千鳥は「いろはに千鳥」(テレビ埼玉)、「テレビ千鳥」(テレビ朝日系)、「相席食堂」(ABC)、「千鳥かまいたちゴールデンアワー」(日本テレビ系)、「千鳥の鬼レンチャン」(フジテレビ系)など、多数のレギュラー番組を持っています。
なかでも「いろはに千鳥」は、2014年に始まった、東京進出後初めての冠番組です。
2022年5月からレギュラー放送が始まった「千鳥の鬼レンチャン」では、かまいたちとともに、歌の挑戦者を見守っています。
志村けんに可愛がられた大悟
大悟さんは、志村けんさんにとても可愛がられたことでも知られています。
デイリースポーツによると、大悟さんはフジテレビ系「志村でナイト」などで志村さんと数多く共演し、志村さんのインスタグラムに2ショットが投稿されるほど仲が良かったそうです。
2020年3月に志村さんが亡くなったあと、大悟さんはしばらくコメントを出さず、相方のノブさんのSNSにも、大悟さんを心配する声がたくさん寄せられました。
約1か月ぶりに更新された大悟さんのツイッターには、ノブさんを撮った動画が載せられていて、ファンからは「元気そうで安心」という声が上がりました。
その後、志村さんの後番組「志村友達」では、大悟さんがアンタッチャブルの柴田英嗣さんとともにMCを務めています。
大悟、是枝監督の映画でカンヌへ
2026年には、大悟さんが俳優としても大きな注目を集めました。
共同通信の記事(秋田魁新報電子版)によると、大悟さんは是枝裕和監督の映画「箱の中の羊」に主演し、第79回カンヌ国際映画祭を訪れています。
映画で大悟さんが演じたのは、綾瀬はるかさん演じる建築家の夫です。
大悟さんは、撮影中に是枝監督から「本当に何も言われず、さほど褒められもせず」と振り返り、それは「『大悟を役者モードにさせない』と考えた監督」の作戦だったと話しています。
フランスで千鳥の漫才がウケるか聞かれると、「千鳥の漫才の『押しの強さ』は合うかも」と前向きでした。
現代ビジネスによると、帰国後の「テレビ千鳥」では、大悟さんが「ワシが監督で、主役はノブじゃ」と“野望”を語ったそうです。
どこまで行っても、ノブさんとセットで考えているのが、大悟さんらしいですよね。
単独ライブ「千鳥の大漫才」と新ネタライブ
テレビで大忙しの今も、千鳥は劇場での漫才を大切にしています。
2021年には、ルミネtheよしもとで「千鳥が1時間新ネタだけをするLIVE」を開きました。
2026年8月13日には、東京・LINE CUBE SHIBUYAで、2年ぶりの単独ライブ「千鳥の大漫才2026」を開催しています。
ノブさんのインスタグラムでは、単独ライブで即完売した「死ぬほどかわいいな何かわからんやつ」も紹介されていました。
盟友・笑い飯の受賞に駆けつけた
大阪時代の盟友・笑い飯との関係も、ずっと続いています。
ORICON NEWSによると、2024年4月、笑い飯が2度目の上方漫才大賞を受賞した際、千鳥は祝福に駆けつけました。
約20年前に寝食を共にして、一晩中ボケ続けていたころのように、花束を渡したあとも、スタッフが引き取った花束を大悟さんがもう一度回収してツッコまれる場面がありました。
笑い飯は「千鳥が来てくれたのは素直にうれしい」「2組ともここまで続けてこられたのがなにより」と感謝していました。
お互いを認め合う、高校からの相棒
2010年のお笑いナタリーの取材で、2人はお互いの長所をこう語っています。
大悟さんは「ノブは芸人じゃなかったとしても、人に好かれる魅力があるんですよ。僕が苦手な部分ですが、いろんな人との繋ぎ役になってくれています」と話しました。
ノブさんは「大悟は良い意味でも悪い意味でも変わらないですね。思い切りがいいです。失敗もありますけど」と答えています。
タウンワークマガジンでは、売れた理由について、大悟さんが「2人があまり変わらなかったというか、自分たちを曲げたり変えたりしなかったのがよかったんかもしれないです」と話していました。
ノブさんのインスタグラムには、「This is crazy」とひと言添えた、#MANZAI の投稿もあります。



高校のソフトボールから始まった2人の関係が、今も変わらず続いているのが本当に素敵です。これからも、2人の漫才をずっと見ていたいですね。
千鳥のメンバーと結成秘話のまとめ
最後に、千鳥について、この記事で分かったことをまとめます。
千鳥は、岡山県立笠岡商業高校の同級生だった大悟さんとノブさんのコンビです。
先に大阪で芸人を目指していた大悟さんが、広島で働いていたノブさんを誘い、2000年に結成しました。
M-1初決勝の最下位、東京進出後の苦戦、ノブ小池への改名と、売れるまでには多くの回り道がありましたが、自分たちのお笑いを曲げずに続けてきたことが、今の活躍につながっています。
この記事のポイントをまとめます。
- 大悟(本名・山本大悟)は北木島出身のボケ
- ノブ(本名・早川信行)は井原市出身のツッコミ
- 出会いは笠岡商業、最初のツッコミは「ドミニカ出身か!」
- コンビ名は、憧れの笠岡高校の通称「千鳥」から
- 大悟の「一緒に漫才したら売れるだけ」の誘いで2000年に結成
- 下積み時代は笑い飯と共同生活、大悟はたこ焼き屋で約5年
- M-1決勝4回、THE MANZAIは3年連続で決勝
- 2013年に上方漫才大賞の大賞を受賞
- 2012年に東京進出、2013年にはノブが「ノブ小池」に改名
- 2026年、大悟が是枝監督の映画でカンヌ国際映画祭へ
テレビ、劇場、そして映画まで、千鳥の活躍の場は広がり続けています。
これからも、岡山弁の漫才で、たくさんの笑いを届けてくれるはずです。



「売れるだけやで」の甘い言葉から始まったコンビが、ここまで大きくなるなんて、本当にすごいことですよね。これからも千鳥の2人を一緒に応援していきましょう!
参考:
- 千鳥のプロフィール|お笑いナタリー
- お笑いコンビ千鳥の絆 正反対の2人、あの頃から変わらない|朝日新聞デジタル(CRAFTWORKS)
- 千鳥・大悟&ノブに聞いた「芸人になると決心した瞬間は?」|タウンワークマガジン
- 「15年でケンカは一度だけ」千鳥が語る10年目|お笑いナタリー
- 千鳥・大悟が本名明かす|デイリースポーツ
- 千鳥ノブ「ファミリーヒストリー」早川家の運命、芸人反対した父の思いを知る|お笑いナタリー
- 千鳥、コンビ名の“由来”は地元にあった|ORICON NEWS
- 千鳥・大悟vs麒麟・川島「敵対」の時代あった|ORICON NEWS
- 「上方漫才大賞」千鳥、テンダラー、プリマ旦那が受賞|お笑いナタリー
- 千鳥メインのバラエティ番組に、ほとんど「ハズレ」がない2つの理由|現代ビジネス
- テレ東・佐久間P×千鳥 面白いのに売れなかった苦悩の時代を語る|ニッポン放送 NEWS ONLINE
- “名付け親”浅尾美和、ノブ小池の改名に驚き|ORICON NEWS
- 千鳥・ノブ小池が元の「ノブ」に再改名|デイリースポーツ
- 千鳥大悟、志村さん死去後初のツイート|デイリースポーツ
- 「志村でナイト」後番組は28日スタート|デイリースポーツ
- 大悟がカンヌで語る「あっぱれ」の是枝演出|秋田魁新報電子版(共同通信)
- 千鳥・大悟に「監督デビュー」構想が浮上|現代ビジネス
- 笑い飯、2度目の『上方漫才大賞』受賞 盟友・千鳥が駆けつけ祝福ボケ|ORICON NEWS
- 千鳥ノブ(@noboomanzaishi)- Instagram









コメント